2018年9月25日火曜日

名古屋市美術館の「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」展

お盆明けの8月19日(日)と、
去る9月23日(日)に、
名古屋市中区栄にある名古屋市美術館まで、

「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」

を観に行って来ました。

めったに同じ展覧会に2度足を運ぶことはありませんが、
今回のは特に満足度が高かったので、
最終日前にもう一度観に行きました。

名古屋会場は、
名古屋市美術館、中日新聞社、NHK名古屋放送局、NHKプラネット中部の主催で、
2018年7月28日(土)から9月24日(月)までの開催となっていました。

名古屋のほかは

 東京会場
 新国立美術館
 〔2018年2月14日-5月7日〕

 九州会場 
 九州国立博物館
 〔2018年5月19日-7月16日〕

の2会場でも開催され、名古屋が最終会場となっていました。


図録の「ごあいさつ」には、

「ビュールレ・コレクションは、
 スイスの実業家であるエミール・ゲオルク・ビュールレ
 (Emil Georg Bührle, 1890-1956)によって収集されたもので、
 印象派絵画を中心とした、約600点の西洋美術からなる
 世界有数のプライベート・コレクションです。
 
(中略)

 ビュールレの生前、
 スイス・チューリヒの自宅などで飾られていた作品は、
 彼の死後、遺族が設立した
 E.G.ビュールレ・コレクション財団によって、
 自宅別棟で公開されてきました。

 しかし、
 2008年の盗難事件で一般公開が規制され、
 2015年に美術館が閉館となって以降、
 コレクションの全貌を確認できる機会は失われてしまいました。

 今回、
 ビュールレ・コレクションの全体像を紹介する展覧会を、
 日本で27年ぶりに開催する運びとなりました

 ビュールレが愛した
 フランス印象派とポスト印象派絵画を中心に、
 知名度が高く、美術史の観点からみても重要な作品を加え、
 コレクションの精華64点をご紹介します。
 そのうちおよそ半数が日本初公開作品となります。

 なお、2020年にコレクションが
 一括してチューリヒ美術館に移管されるため、
 これだけの傑作をまとめて楽しむことができるのは、
 おそらく日本では本展覧会が最後になるでしょう。」

等とありました(改行、下線はブログ編者による)。

全体の構成は、

 第1章 肖像画
 第2章 ヨーロッパの都市
 第3章 19世紀のフランス
 第4章 印象派の風景 ― マネ、モネ、ピサロ、シスレー
 第5章 印象派の人物 ― ドガとルノワール
 第6章 ポール・セザンヌ
 第7章 フィンセント・ファン・ゴッホ
 第8章 20世紀初頭のフランス絵画
 第9章 モダン・アート
 第10章 新たなる絵画の地平

となっていました。


  ***

エミール・ゲオルク・ビュールレ
(Emil Georg Bührle, 1890-1956)氏のコレクションといわれても
何もわからなかったのですが、
印象派の名品が見られるとのこと、
期待して観に行って来ました。

これが大正解。
個人のコレクションで、
これほどの名品ぞろいというのも記憶になく、
とても充実した時間を過ごすことができました。

今後の参考に、
個人的に心に残った絵画を整理しておきます。

第1章 肖像画
個人的に好きな画家シスレーの、
肖像画が見られたのは興味深かったです。

【図録6】
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
「アルフレッド・シスレーの肖像」
 ※1864年、油彩、カンヴァス


第3章 19世紀のフランス 
風景画家と思っていた画家コローの、
人物画で良いものが見られました。

【図録14】
カミーユ・コロー(1796-1875)
「読書をする少女」
 ※1845-50年、油彩、カンヴァス


第4章 印象派の風景 ― マネ、モネ、ピサロ、シスレー
個人的に好きな画家シスレーの作品が2点。
ただしこれらは、彼のベストとはいえないように感じました。

【図録25】
アルフレッド・シスレー(1839-99)
「ハンプトン・コートのレガッタ」
 ※1874年、油彩、カンヴァス

【図録26】
アルフレッド・シスレー(1839-99)
「ブージヴァルの夏」
 ※1876年、油彩、カンヴァス


それ以上に強く印象に残ったのが、
マネとモネの風景画3点でした。

【図録27】☆☆☆
エドゥアール・マネ(1832-83)
「ベルヴュの庭の隅」
 ※1880年、油彩、カンヴァス

【図録28】☆☆
クロード・モネ(1840-1926)
「ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑」
 ※1879年頃、油彩、カンヴァス

【図録28】☆☆☆
クロード・モネ(1840-1926)
「ジヴェルニーのモネの庭」
 ※1895年頃、油彩、カンヴァス

印象派の絵をみる醍醐味ここにあり。

この3点を見られただけで、
今日足を運んだ価値がありました。

とくに【27】と【28】は絶美でした。


第5章 印象派の人物 ― ドガとルノワール
ルノワールの有名な1枚「可愛いエリーヌ」の
完璧な美しさに惹き込まれました。

【図録34】
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」
 ※1880年、油彩、カンヴァス


第7章 フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホは、狂気が作品ににじみ出ている所があって、
あまり好きな画家ではないのですが、
【48】の静物画はそれなりに心に残りました。

【図録48】
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)
「花咲くマロニエの枝」
 ※1890年、油彩、カンヴァス


第10章 新たなる絵画の地平
最後はモネの睡蓮1点のみの展示。

今年は何度もモネの「睡蓮」を見ていますが、
その中では一番大きな作品で、
縦2メートル、横4.25メートルもあって、
大変見応えがありました。

【図録64】
クロード・モネ(1840-1926)
「睡蓮の池、緑の反映」
 ※1920-26年、油彩、カンヴァス

これまで見てきた常識的なサイズの「睡蓮」は、
全体の構図に違和感を感じるものが多かったのですが、

これだけ大きいと、部屋をぐるっと
睡蓮の池が取り囲んでいるような感覚で、
初めて、モネが何を意図していたのかわかった気がしました。

モネの睡蓮を見る目が変わりました。



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2018年9月16日日曜日

ノイマン&チェコ・フィルのドヴォルザーク:交響曲第1番(1987年録音)

チェコの指揮者
ヴァーツラフ・ノイマン
(Václav Neumann, 1920年9月29日-95年9月2日)
の指揮する

チェコのオーケストラ
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
の演奏で、

チェコの作曲家
アントニン・ドヴォルザーク
(Antonín Dvořák, 1841年9月8日-1904年5月1日)の
交響曲第1番《ズロニツェの鐘》を聴きました。


ドヴォルザーク
交響曲第1番ハ短調 B.9《ズロニツェの鐘》

ヴァーツラフ・ノイマン指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1987年6月15-17日、プラハ、ルドルフィヌム(芸術家の家)
【COCO-70880】2007年12月発売

交響曲第1番は、
ドヴォルザークが23歳の時(1865)に
ドイツのコンクールに応募するために作曲され、
1865年3月24日に完成されました。

しかしコンクールに入賞せず、
総譜も返却されなかったため、
長らく紛失したと考えられていました。

完成から17年をへた1882年
プラハの学生ルドルフ・ドヴォルザークが、
ライプツィヒの古書店で偶然、総譜を発見し、
同姓という興味から購入していたのですが、

作曲者とは何の血縁関係もなかったことから、
作曲者ドヴォルザークが知るよしもなく、
総譜はそのままルドルフのもとに留め置かれました。

作曲者ドヴォルザークは、
総譜の存在を知らぬまま1904年に亡くなりましたが、
発見者ルドルフも、
総譜を放置したまま1920年に亡くなりました。

放置された総譜は、
発見者の息子ルドルフ(父と同名)が、
改めて父の遺品の中から発見し、
1923年にこれを世に紹介することによって、
初めて存在が明らかになりました。

初演は1936年10月4日に行われましたが、
息子ルドルフの同意が得られなかったことから、
出版は見送られました。

ルドルフが亡くなった後、1960年5月に、
未亡人のヴィレーミナ・ドヴォルザーク夫人が、
総譜をアントニン・ドヴォルザーク協会に献呈したことで、
ようやく出版が許諾され、
1961年に初めて総譜が出版されました(アルティア版)。

※以上、おもにCD添付の藤田由之氏による解説を参照。


  ***

今春インターネット上で、
スウィトナー&シュターツカペレ・ドレスデン
のドヴォルザークを試聴し(各曲30秒ほど)、
オケの充実した響きに魅了され、
初期の交響曲のCDを買ってみました。

しかしいざ聴いてみると、
出だしの飛び切り美しい響きにうっとりするものの、
全体に似たような曲調が続いてメリハリに乏しく、
聴き通すのがつらくなりました。

作品自体が弱いようにも感じましたが、

一度は本場のコンビで聴いておこうと、
ノイマン&チェコ・フィルのCDを聴いてみたところ、
これが大正解。

特別なことをしている風ではないのですが、
作曲者の意図をくんで、ごく自然に、
楽譜の弱さを補う演奏ができているようで、

どこもかしこも美しく響いて、
飽きる間もなく、感動のうちに聴き終えることができました。

演奏の仕方によっては、
構成面での弱さを感じさせることなく、
魅力に溢れたメロディの連続を楽しませてくれる
優れた作品であることがわかりました。

スウィトナーとはまるで違う曲を聴いているようでした。

まだそこれほど色々聴いたわけではないのですが、
ノイマン&チェコ・フィルの演奏を基準に、
ほかにも聴いてみたいと思いました。



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2018年9月2日日曜日

ヨッフム&シュターツカペレ・ドレスデンのブルックナー:交響曲第1番(1978年録音)

ドイツの指揮者
オイゲン・ヨッフム
(Eugen Jochum, 1902年11月1日-87年3月26日)
の指揮する

ドイツのザクセン州立歌劇場
(ゼンパー・オーパー, Semperoper)専属のオーケストラ
シュターツカペレ・ドレスデン
(Sächsische Staatskapelle Dresden)
の演奏で、

オーストリアの作曲家
アントン・ブルックナー
(Anton Bruchner, 1824年9月4日-96年10月11日)
の交響曲全集を聴いていきます。

まずはCD1枚目は、
交響曲第1番ハ短調を聴きました。

指揮者ヨッフム76歳の時(1978年12月)の録音です


Disc1
アントン・ブルックナー(1824-1896)
交響曲第1番ヘ短調 WAB.101(リンツ稿/ノヴァーク版)

シュターツカペレ・ドレスデン
オイゲン・ヨッフム(指揮)
録音:1978年12月11-15日、ドレスデン、ルカ教会
【Warner Classics 5099998458325】2013年9月発売


交響曲第1番 ヘ短調 は、

ブルックナーが
41歳の時(1865)に着手、
42歳の時(1866)に完成し、 
44歳の時(1868)に初演されました。

この第1稿を「リンツ稿」と呼んでいます

 その後1877年と84年に細部の改訂が行われたので、

 1935年に出版された
 ハース校訂の「リンツ稿」(第1稿)では、
 1877年の改訂を含めた状態で出版されました。


第1稿の初演から22年をへた
66歳の時(1890)に全面改訂が行われ、
翌91年に改訂稿の初演が行われました。

この第2稿を「ウィーン稿」と呼んでいます

 改訂稿の初演から2年後(1893)、
 「ウィーン稿」(第2稿)に基づく「初版」が出版されました。

 ブルックナーはこの3年後、
 72歳の時(1896)に亡くなりますが、
 1935年にハース校訂の「リンツ稿」が出版されるまで、
 40年余り、第1番の出版譜は「ウィーン稿」しか存在しませんでした。


本格的な校訂譜としては、1935年に、
ハース校訂による「ウィーン稿」と「リンツ稿」が出版され

その後、
1953年にノヴァーク校訂による「リンツ稿」が、
1979年にノヴァーク校訂による「ウィーン稿」が
それぞれ出版されました。

 ノヴァーク版の「ウィーン稿」は、
 実際の校訂者名をとって「ブロッシェ版」と呼ばれることもあるそうです。


1976年録音のこのCDは、
1953年に出版されたノヴァーク校訂による
「リンツ稿」が用いられていることになります。

※根岸一美『作曲家◎人と作品 ブルックナー』(音楽之友社、2006年6月)と、Wikipediaの「交響曲第1番(ブルックナー)」の項を参照。


  ***

昔は高価で手を出せなかった
ヨッフムさんの指揮する
ブルックナーの交響曲全集が、
CD1枚分の値段で手に入ったので、
この機会に聴き直してみることにしました。


ヨッフムさんの指揮する
シュターツカペレ・ドレスデンによるブル1、

緻密に計算されたというよりは、
音楽の自然な流れを大切にした共感度の高い演奏で

素朴な美しさに満ちていて、
心から楽しんで聴き進めることができました。

深い祈りの込められた
 第2楽章 Adagio が出色ですが、

ブルックナー最初の交響曲として、
全体的にバランスよくまとまった
完成度の高い作品であることを確かめられました。

シュターツカペレ・ドレスデンの音は、
最新のオーケストラの録音に比べれば、
それほど洗練されているわけではないのですが、
ブルックナーに向いているというか、
程良い荒々しさで心に響いてきて、
十分に満足できました。

聴いてすぐにうっとりするかはわかりませんが、
少し聴き込めば、ブルックナーの良さがとても伝わりやすい演奏だと思いました。



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