2016年7月25日月曜日

ブレンデルのシューベルト:ピアノ作品集3(1972・75年録音)

チェコスロバキア共和国(現・チェコ共和国)
モラヴィア地方生まれのピアニスト、
アルフレード・ブレンデル
(Alfred Brendel, 1931.1- )の演奏で、

オーストリアの作曲家
フランツ・シューベルト(Franz Schibert, 1797.1-1828.11)の
ピアノ作品集を聴きました。

7枚組CDの3枚目で、
ピアノ・ソナタ
 第17番ニ長調 作品53 D850 ※4楽章
 第18番ト長調 作品78 D894 《幻想》※4楽章
の2曲が収録されています。


シューベルト:ピアノ作品集
CD3
①ピアノ・ソナタ(第17番)ニ長調 D850(op.53)
②ピアノ・ソナタ(第18番)ハ長調 D894《幻想》(op.78)

アルフレート・ブレンデル(ピアノ)
録音:1974年(①)、1972年(②)
【Eloquence 480 1218】2008年発売

一つ前のCD2には、
シューベルトが26歳の時(1823)に作曲された第14番と、
28歳の時(1825)に作曲された第15・16番のソナタが収録されていました。

1823年2月作曲
 ピアノ・ソナタ第14番イ短調 D784 ※3楽章
1825年4月作曲
 ピアノ・ソナタ第15番ハ長調 D840《レリーク》※2楽章
同年5月頃作曲
 ピアノ・ソナタ第16番イ短調 D845 ※4楽章

このCD3には、
同じ28歳の時に作曲されたもう1曲のソナタ(第17番)と、
翌年29歳の時に作曲された第18番のソナタが収録されています。

1825年8月
 ピアノ・ソナタ第17番ニ長調 D850 ※4楽章
1826年10月
 ピアノ・ソナタ第18番ト長調 D894《幻想※4楽章

※作品番号等の分類については、便宜的に、音楽之友社編『作曲家別 名曲解説ライブラリー17 シューベルト』(音楽之友社、1994年11月)の記述に従いました(「ピアノソナタ 総説」の執筆は平野昭氏)。


  ***

どちらも4楽章編成の大曲で、
美しいメロディには事欠かないのですが、

今一つ第4楽章の印象がうすく、
おっとりのんびりした雰囲気で静かに終わるので、
注意して聴かないと、17番と18番の切れ目がわからなくなりがちでした。

それでも繰り返し聴きこむごとに、
シューベルトの叙情的なメロディがそこかしこに浮かび上がって、
独特の美しく穏やかな世界が広がって行きました。

まだ残念ながら、少し時間が経つと、
どれが第何番のソナタなのかわからなくなる状態なのですが、

聴けばすぐに、
美しいシューベルトの音楽が心に染みる程度には、
曲の内容がわかってきました。

どちらかといえば、
第18番の《幻想》ソナタの方が有名ですが、
一つ前の第17番のソナタも類似の大曲で、
十分な魅力を備えていることに気がつけたのも収穫でした。

ブレンデルのピアノは、
無理のない常識的な範囲で、
作品の真価を過不足なく伝えるもので、
シューベルトとの特別な相性の良さを感じました。

それでは、次の1枚に進みましょう。

2016年7月18日月曜日

マゼール&バイエルン放送響のシューベルト:交響曲全集その2(2001年録音)

フランス生まれ、アメリカ出身の指揮者
ロリン・マゼール(Lorin Maazel, 1930.3-2014.7)が指揮する

ドイツのオーケストラ
バイエルン放送交響楽団の演奏で、

オーストリアの作曲家
フランツ・シューベルト(Franz Schubert, 1797.1-1828.11)の
交響曲全集を聴いていますが、

今回はCD2に収録されている
交響曲第3・4・5番を聴きました。

マゼール71歳の時(2001年)のライブ録音です


CD2
フランツ・シューベルト(1797.1-1828.11)
交響曲第3番 ニ長調 D.200(1815年7月完成)※18歳
交響曲第4番 ハ短調 D.415《悲劇的》(1816年4月完成)※19歳
交響曲第5番 変ロ長調 D.589(1816年10月完成)※19歳

ロリン・マゼール指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:2001年3月13日(第3番)、同16日(第4・5番)
【BR KLASSIK 900712】2013年発売

過激なデフォルメをしない、
中庸な解釈によるシューベルト演奏です。

共感度に欠けるわけではなく、
中身のつまった充実した演奏で、
心持ち速めのテンポで一気に駆け抜けていくので、

飽きる間もなく、
どんどん曲が進んでいき、
どれもいい曲を聴いた印象が残ります。

ベートーヴェンのような深刻さには欠けますが、
ハイドンのような楽しさ一杯の交響曲として、
もっと演奏されても良い名曲のように感じました。

でも実をいうと、
第1番から6番までは、
どれも同じような色合いの似た曲に聴こえてしまうことも確かで、

だから悪いということもないのですが、
曲それぞれの個性がわかって来るまでには、
もう少し時間がかかりそうな気がします。

シューベルトの交響曲が、
どれも名曲ぞろいであることがわかっただけでも、
私にとって十分に意味のある録音でした。

2016年7月8日金曜日

名古屋市美術館の「藤田嗣治―東と西を結ぶ絵画―」展

去る7月10日(日)、
伏見の名古屋市美術館まで、
「生誕130年記念 藤田嗣治―東と西を結ぶ絵画―」展
を観に行って来ました。

図録を参照すると、名古屋会場は
 2016年4月29日(金)~7月3日(日)
の日程で、
 名古屋市美術館
 中日新聞社
 NHK名古屋放送局
の主催となっています。

東京で生まれ、パリで活躍した画家
藤田嗣治(ふじたつぐはる 1886.11-1968.1)氏については、
辛うじて名前を知っているくらいで、
意識して観たことはありませんでした。

彼がどんな人物なのかはこれからじっくり学ぶとして、
今回は、この展覧会で観た作品のなかから、
私の心にピンと来たものを選び出しておきます。

図録を参照すると、
展示はつぎの6章から構成されていました。

 Ⅰ 模索の時代 1909-1918
 Ⅱ パリ画壇の寵児 1919-1929
 Ⅲ さまよう画家 1930-1937
 Ⅳ 戦争と国家 1938-1948
 Ⅴ フランスとの再会 1949-1963
 Ⅵ 平和への祈り 1952-1968


  ***

【Ⅰ 模索の時代 1909-1918】のなかでは、
「002 自画像」(1910)のみ印象に残りました。

才能がきらきらしている風ではなかったのですが、
それでも人物画に独特の才能があることは、
ほのか伝わって来ました。


【Ⅱ パリ画壇の寵児 1919-1929】は、
恐らく藤田の出世作が並んでいるのでしょうが、

私の好きな画風でないからなのか、
一見して心を奪われる圧倒的な作品は見つかりませんでした。

それでも人物の捉え方がかなり独特で、
ほんわかした雰囲気の柔らかな画風は、
深く印象に残りました。

この章でも、
「038 猫のいる自画像」(1927頃)と、
「042 自画像」「043 自画像」(1929)は、
私の好みではないのですが、ユーモラスな画風が印象に残りました。


【Ⅲ さまよう画家 1930-1937】は印象的な人物画が並びます。

ひとつひとつを観ていくと、
不思議な魅力に惹き込まれていくのですが、
これらの人物画が好きかといわれると、
私はあまり好きになれませんでした。

私だけかもしれませんが、
人物画は、ぱっと観たときの印象で
好き嫌いが大きく分かれてしまうので、
なかなか波長の合う作品には出会えません。

西洋画ではあまり観ない
日本の漫画をみるような独特の画法で、
藤田独自の世界感が表現されているとは思うのですが、

私には、
藤田の人物画には何かしら嫌味な部分を感じることが多く、
感銘を受けるまでには至りませんでした。


【Ⅳ 戦争と国家 1938-1948 】は、
「095 アッツ島玉砕」(1943)の持つ例外的な迫力に圧倒されました。

特に新しい技法を用いているわけではないようですが、
大きな画面から溢れんばかりに作者の熱い思いが伝わって来て、
深く心を揺さぶられました。

この作品を観られただけでも、
この展覧会に足を運んだ価値がありました。

他の作品とはまるで別人が描いたかのようにも感じました。

「アッツ島玉砕」を観てしまうと、
ほかの作品が一気に色あせてしまいましたが、

この章ではやはり「092 自画像」(1943)がすっと心に入って来ました。


【Ⅴ フランスとの再会 1949-1963 】は、
ある種吹っ切れたところがあったのか、

それ以前に見受けられた
藤田氏独特のアク、癖、嫌味といったものがほぼ無くなっていて、
私と波長の合う優れた作品が多く見つかりました。

「104 室内」(1950)
「107 ノートル=ダム・ド・ベルヴゼ。ヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョン」(1951)
「141 パリ、カスタニャ通り」(1958)

の3つの風景画は、
図録で観ると特別な作品には思えないのですが、
シンプルな構図と明るく透明な色彩に、
不思議と強く心洗われました。

この3作品ほどの強さは感じなかったのですが、

「153 ノートル=ダム=ド= パリ、フルール河岸」(1963)
「154 静物(夏の果物)」(1963)

の2つの風景画、静物画も同類の美しさがありました。

藤田氏の人物画は、
あまり好きになれなかったのですが、
この時期の風景画や静物画は、
もっと観てみたいと思いました。


【Ⅵ 平和への祈り 1952-1968 】は、
藤田氏の人生の総決算というべき作品群なのでしょうが、

私には、
昔の藤田氏の嫌味なところが強調されているように感じられ、
好きにはなれませんでした。

溢れんばかりの才能が、
芸術家としての行き場を探しているうちに、
何か違う方向にズレていった一生のように感じました。

ところどころで見受けられる、
とんでもなく高いレベルの芸術的な絵画と、
そこまでではない玄人ウケしそうなプロの作品とが混在していて、
興味深い画家であることを強く認識できました。


2016年7月4日月曜日

クレンペラー&フィルハーモニア管のベートーヴェン:交響曲第5・6番(1960年ライブ)

ドイツ帝国ブレスラウ
(現在のポーランドのヴロツワフ)生まれの指揮者
オットー・クレンペラー
(Otto Klemperer, 1885.5-1973.7)の指揮する
イギリスのオーケストラ
フィルハーモニア管弦楽団の演奏で、

ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(1770.12-1827.3)の交響曲第5・6番を聴きました。

1960年のウィーン芸術週間ライブとして有名な全集で、
Membranの10枚組CD の ◯DISC5 に収録されています。


◯DISC5
ベートーヴェン
交響曲第5番ハ短調 作品67《運命》
 (録音:1960年5月31日)
交響曲第6番ヘ長調 作品68《田園》
 (録音:1960年6月2日)

フィルハーモニー管弦楽団
オットー・クレンペラー(指揮)
【Membran 10CD Collection /No.600135】2014年1月発売

第7番が今一つだったものの、
それ以外は充実した演奏を聴かせてくれている
1960年のライブによるベートーヴェンの交響曲
《運命》と《田園》を収めた1枚を聴きました。

どちらも集中力の切れない好調時の演奏で、
《運命》《田園》ともによく出来た名曲であることを再確認できました。

それほどいい音で録れているわけではなく、
またフルトヴェングラーのように勢いに任せた演奏でもないのですが、

一度聴き始めると、
不思議とそのまま耳が吸いついて、
魅力的な音楽として最後まで聴き通せてしまう、
クレンペラーならではの名演になっていると思いました。

特に興味深かったのが《運命》で、
クレンペラーらしく、前のめりになってあせる要素がどこにもない
落ちついた演奏であるにも関わらず、
曲の魅力満載の充実した演奏になっています。

熱くならない《運命》が、
こんなにおもしろく聴こえることは恐らく稀なことでしょう。

録音は今ひとつですが、
これまで5枚聴いてきた中では一番興味深い演奏でした。