2017年3月31日金曜日

愛知県美術館の「ゴッホとゴーギャン展」

去る3月19日(日)、
名古屋市東区の愛知県美術館まで、

オランダの画家
フィンセント・ファン・ゴッホ
(Vincent van Gogh, 1853-1890/満37歳没)と、

フランスの画家
ポール・ゴーギャン
(Paul Gauguin, 1848-1903/満54歳没)の

二人をテーマにした展覧会
「ゴッホとゴーギャン展」を観に行ってきました。

 ※日程 2017年1月3日(火)~3月20日(月) 
 ※主催 愛知県美術館、中日新聞社、CBCテレビ
 ※後援 オランダ王国大使館

 ◎「東京会場」(東京都美術館)
  日程:2016年10月8日~12月18日
  主催:東京都美術館、東京新聞、TBS

正月中に行きそびれ、
そのまま延び延びになっていたのですが、
苦手なゴーギャンに迫るべく、
モームの『月と六ペンス』も読んだところだったので、
最終日の1日前に観に行って参りました。

閉館1時間前に滑り込んで、
もう人はいないだろうと思っていたら、
最終日前の日曜日ということもあってか、
家族づれがたくさん来ていました。

それでも気に入った作品を、
2回3回と観ているうちに人影まばらになって、
終わりの30分くらいは、
気に入った作品をじっくり観ることができました。


  ***

ゴッホの作品は、
これまでにも度々観る機会がありました。

精神病の影響が出て、
構図に異常な歪みがみえるようになってからの作品は
あまり好きになれないのですが、それより前の、
色彩感あふれる健康的な風景画にはお気に入りが多いです。

もう一人、
ゴーギャンの作品は、
教科書などでよくみられる独特な色彩が、
生理的に受け付けないので、これまでほとんど観ていません。

今回観てみても、
彼ならではの個性が出て来るにつれ、
私の好みからどんどん離れていきました。

しかし、若い頃の風景画のなかには、
独特の枯れた味わいのある作品があって、
心に響くものが見つかりました。


  ***

忘れないうちに、
個人的に気に入った作品をまとめておきます。

第1章 近代絵画のパイオニア誕生

ここでは気に入った作品は2点。

【図録4】
 ジャン=フランソワ・ミレー(1814-75)
 《鵞鳥番の少女》1866-67年
  ※個人蔵

【図録15】
 クロード・モネ(1840-1926)
 《ヴェトゥイユ、サン=マルタン島からの眺め》1880年
  ※吉野石膏株式会社(山形美術館に寄託)

ミレーの作品は以前、名古屋ボストン美術館で
「ボストン美術館 ミレー展」を観た時(2014年10月)、
ほの暗い憂鬱な絵ばかりで、あまりいい印象がなかったのですが、

この《鵞鳥番の少女》は、
ガチョウのユーモラスな雰囲気が、
明るい印象を与えてくれて、すぐに気に入りました。

なお東京会場のみの展示で、
図録でしか観られなかったのですが、

【図録13】
 カミーユ・ピサロ(1830-1903)
 《エラニーの牧場》1885年
  ※公益財団法人 上原美術館 上原近代美術館

【図録14】
 クロード・モネ(1840-1926)
 《藁葺き屋根の家》1879年
  ※公益財団法人 上原美術館 上原近代美術館

の2点は新鮮な印象で、
ぜひ実物を観てみたかったです。
特に《藁葺き屋根の家》は好印象でした。

静岡県の「上原美術館」の所蔵なので、
機会があれば観に行ってみたいです。


第2章 新しい絵画、新たな刺激と仲間との出会い

この中で気に入ったのは、
ゴッホとゴーギャンの風景画を1点ずつ。

【図録21】
 フィンセント・ファン・ゴッホ
 《モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの裏》1887年7月、パリ
  ※ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

【図録27】
 ポール・ゴーギャン
 《ポン=タヴェンの木陰の母と子》1886年
  ※ポーラ美術館

ゴッホの【21】は、
図録で見るとそれほどでもないのですが、
実物は明るい日光が差し込んでくる印象で、
心をパッと晴れやかにしてくれる作品でした。

ゴーギャンの【27】は、
やわらかい色調の穏やかな印象の風景画で、
後年のどぎつい彼独特の色彩が強調されていないところを気に入りました。
この絵は好きです。


第3章 ポン=タヴェンのゴーギャン、アルルのファン・ゴッホ、そして共同生活へ

こちらは、
ゴッホとゴーギャンの風景画が3点。

とくにゴッホの【37】と【40】は、
図録でみるとそれほどでもないのですが、
実物では、目に鮮やかな濃いめの緑が、深く心に残る作品で、
鮮烈な印象を受けました。

この2点を観られただけで、
今回足を運んだ甲斐がありました。

【図録37】
 フィンセント・ファン・ゴッホ
 《収穫》1888年6月、アルル
  ※ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

【図録40】
 フィンセント・ファン・ゴッホ
 《公園の小道》1888年9月、アルル
  ※ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

ゴーギャンは、
私が抱いていたゴーギャン像とは異なる
枯れた味わいの上品な印象の風景画で、
前掲【27】と同じタイプの作品でした。

【図録45】
 ポール・ゴーギャン
 《鵞鳥の戯れ》1888年、ポン=タヴェン
  ※個人蔵

ゴーギャンらしい
強いクセのあるどぎつい色彩が出ていない
風景画をよく感じるということは、
私にはゴーギャンの真価がわからない、
ということなのだと思います。

でも【27】【45】と似た風景画があるのなら、
これはもっと観てみたいです。


第4章 共同生活後のファン・ゴッホとゴーギャン

ここで強く感銘を受けたのは、
ゴッホが描いたバラの絵1点のみ。

【図録53】
 フィンセント・ファン・ゴッホ
 《ばら》1889年5月、サン=レミ
  ※国立西洋美術館(松方コレクション)

他より少し小さめのカンヴァスに、
厚めに絵の具を塗りたくっていて、
ぱっと見、何が描かれているのかわからなかったのですが、
(恐らく)庭のしげみに雑然と咲くバラの花が描かれていて、

ゴッホの凝縮された想いが
絵から放出されていて、力強い情感に圧倒されました。

他の作品は、精神病の影響からか、
構図からして変にゆがんでいるものが多く、
芸術としてこれはどうなのか、と疑問に思われました。


第5章 タヒチのゴーギャン

こちらは私の知っているゴーギャンばかりで、
どれも嫌味のある色彩が強調されていて、
私の好きな世界ではないことを確認しました。


 ***

以上、
出かける前はさほど期待していなかったのですが、
充実した内容の作品がたくさんあって、
濃い時間を過ごすことができました。



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2017年3月27日月曜日

ワルターのマーラー:亡き子を偲ぶ歌&交響曲第4番(1949&1945年録音)

ドイツ出身の指揮者
ブルーノ・ワルター
(Bruno Walter, 1876年9月-1962年2月)の指揮で、

オーストリア帝国ボヘミア出身の作曲家
グスタフ・マーラー
(Gustav Mahler, 1860年7月-1911年5月)の
歌曲集《亡き子を偲ぶ歌》と、交響曲第4番を聴きました。

歌曲集は、
イギリス生まれのコントラルト歌手
キャスリーン・フェリアー
(Kathleen Ferrier, 1912年4月-53年10月)の独唱、

交響曲は、
オーストリアのソプラノ歌手
デシ・ハルバン
(Desi Halban, 1912年4月-96年2月)の独唱です。

歌曲集はワルター73歳の時(1949年10月)
交響曲は68歳の時(1945年5月)の録音です


グスタフ・マーラー(1860-1911)
①歌曲集《亡き子を偲ぶ歌》
 キャスリーン・フェリアー(コントラルト)
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ブルーノ・ワルター(指揮)
 録音:1949年10月4日、キングスウェイ・ホール、ロンドン

②交響曲第4番ト長調
 デシ・ハルバン(ソプラノ)
 ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団
 ブルーノ・ワルター(指揮)
 録音:1945年5月10日、カーネギー・ホール、ニューヨーク
【Naxos 8.110876】2003年7月発売

①の《亡き子を偲ぶ歌》は、
マーラー44歳の時(1905年1月)に初演されました

②の交響曲第4番ト長調は、
マーラー41歳の時(1901年11月)に初演されました


  ***

インバルの鮮明な録音のすぐ後に聴いて、
さすがに聴き劣りがしたので、
しばらく放っておいてから改めて聴き直してみました。

①の《亡き子を偲ぶ歌》は、
これまでほとんど聴き込んで来なかったので、
他と比べてどうなのかは良くわからないのですが、

フェリアーの声が、
実演で聴いたことのないレベルでよく響いて、
うっとり聴き惚れる、それだけで得した気分になれる録音でした。

もう少しほかの演奏も聴いてから、
改めて戻って来ようと思います。


②の交響曲第4番は、
改めて聴き直してみても、
やはり音質が今一つ。

それなりに生々しくは録れているのですが、
その分耳ざわりでうるさく感じられてしまいます。

演奏そのものは、ワルターの棒のもと、
説得力のある解釈が展開されていると思うのですが、

ハルバンの独唱はフェリアーの名唱に比ぶべくもない、
平凡な出来だと思います。

仮に鮮明な録音で残っていたとしても、
1949年のニューヨーク・フィルとの第5番よりは、
数等落ちる演奏だと感じました。

2017年3月13日月曜日

ベルティーニ&東京都響のマーラー:交響曲第4番&亡き子を偲ぶ歌(2002年録音)

イスラエルの指揮者
ガリー・ベルティーニ
(Gary Bertini, 1927年5月-2005年3月)の指揮する
東京都交響楽団の演奏で、

オーストリア帝国の作曲家
グスタフ・マーラー(1860.7-1911.5)の
交響曲第4番ト長調と、歌曲集《亡き子を偲ぶ歌》を聴きました。

指揮者49歳の時(1985年10月)の録音です

交響曲の独唱者(ソプラノ)は
森麻季(もりまき 1970年8月- )、

歌曲集の独唱者(バスバリトン)は
クラウス・メルテンス(Klaus Mertens, 1949年3月- )でした。


グスタフ・マーラー
①交響曲第4番ト長調《大いなる歓びへの賛歌》
②歌曲集《亡き子を偲ぶ歌》

ガリー・ベルティーニ指揮
東京都交響楽団
矢部達哉(ヴァイオリン)
森麻季(ソプラノ)
クラウス・メルテンス(バス・バリトン)

録音:2002年11月24日、横浜みなとみらいホール
【FOCD9189】2003年7月発売。

交響曲第4番ト長調は、
マーラー41歳の時(1901年11月)に初演された作品です

《亡き子を偲ぶ歌》は、
マーラー44歳の時(1905年1月)に初演された作品です


マーラーの第4番、
最近まとめて聴き直していますが、

バーンスタイン&ニューヨーク・フィルの旧録音は、
マーラーの分裂気質なところを強調していて、
面白いけれども多少落ち着かない演奏で、
それほど感動はしませんでした。

インバル&フランクフルト放送響は、
しっとりと歌わせるオーソドックスな演奏で、
滅多に聴けないレベルの優秀録音も心地よく、
繰り返し聴き込みたい1枚となりました。

家の中を探してみると、昔買った
ベルティーニ&都響のCDがみつかりました。
あまり記憶に残っていなかったので
今回聴き直してみたところ、

心にじんわり響いて来る
感動的な演奏が繰り広げられて、
嬉しい驚きでした。

前2者と比べると、
聴こえて欲しいところはちゃんと聴こえるのですが、
最弱音が少しこもった感じになっていて、
一昔前の国内のライブ録音にありがちな、
不満の残る音質でした。

しかし演奏は素晴らしいです。

ブルーノ・ワルターのように
叙情性を旨とした演奏ですが、
ワルターよりはもっと洗練された印象があります。

インバルの落ち着いた演奏よりは、
テンポをいろいろ動かしているのですが、
インバルより全体的に軽めの印象で、
しかしここぞというところでは深い印象を残していました。

とくに絶品なのは第3楽章で、
誰の指揮で聴いても退屈になりがちな楽章なのですが、
次の第5番のアダージェットを聴くのと変わらない感覚で、
自然な流れのなかに全体を感動的に聴き通すことができました。


ベルティーニ&都響のマーラー、
第6番《悲劇的》第7番《夜の歌》も持っていたので、
今回聴き直してみたのですが、

第4番より編成が大きくなるからか、
いっそうぼやけた感じの音質で、
細部を聴き取れないもどかしさがかなりあって、
聴き通すのがつらい演奏でした。

第4番は、
この2曲(第6・7番)と比べれば
ずっと聴き取りやすいのですが、
インバルはもとより、
バーンスタインの旧盤と比べても
多少劣る音質のように感じました。


《亡き子を偲ぶ歌》は、
他と比較できるほど聴き込んでいませんが、
先日聴いたフェリアーの名唱に聴き劣りしない優れた歌唱で、
だんだんこの曲の良さがわかってきました。

第4交響曲よりも、
曲としてのまとまりはすぐれているように感じています。


※音楽之友社編『マーラー』(音楽之友社〔作曲家別名曲解説ライブラリー1〕1992年9月)を参照。

2017年3月6日月曜日

インバル&フランクフルト放送響のマーラー:交響曲第4番ト長調(1985年録音)

イスラエルの指揮者
エリアフ・インバル(Eliahu Inbal, 1936年2月- )の指揮する

ドイツのオーケストラ
フランクフルト放送交響楽団
(2005年にhr交響楽団に改称)の演奏で、

オーストリア帝国の作曲家
グスタフ・マーラー(1860.7-1911.5)の
交響曲第4番ト長調を聴きました。

指揮者49歳の時(1985年10月)の録音です


グスタフ・マーラー
交響曲第4番ト長調《大いなる歓びへの賛歌》

エリアフ・インバル指揮
フランクフルト放送交響楽団
ディーゴ・パギン(ヴァイオリン)
ヘレン・ドナート(ソプラノ)
録音:1985年10月10、11日、フランクフルト、アルテ・オーバー
【COCO73074】2010年9月発売。

交響曲第4番ト長調は、
マーラー41歳の時(1901年11月)に初演された作品です


バーンスタイン(1960年録音)の後で聴いてみると、

バーンスタインが分裂気味にテンポを揺らし、
せかせかして落ちつかない印象だったのに対して、

インバルのほうが、落ちついたテンポ感で、
しっかりと曲全体の構造を見通せているように感じます。

それでつまらなければ駄目ですが、
曲への思い入れも十分に伝わって来て、
まとめにくい第3楽章もかなり健闘していて、退屈せずに聴き通せました。

特に優れているのは音質で、
バーンスタインも悪くはないのですが、

インバルは現在の最上レベルと比べてまったく聴き劣りすることなく、
美しく自然なオーケストラの「音」そのものを楽しむことができました。

その点、昔聴いたCDの時は、
もう少し無機質な音に聴こえていたように記憶していますが、

今回聴いた[Blu-spec CD]では、
豊穣な瑞々しい音として聴こえて来るのは嬉しい驚きでした。

バーンスタインが
若干ユニークな印象もあったのに比べると、
インバルはより普遍的な誰にでもわかりやすい解釈なので、
最初の1枚としてお薦めしたい演奏だと思いました。