2018年4月22日日曜日

西崎崇子&カペラ・イストロポリターナのモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番(1989年録音)

名古屋生まれ、
香港在住のヴァイオリニスト
西崎崇子(にしざきたかこ, 1944年4月14日- )
の独奏、

アメリカ合衆国の指揮者
スティーヴン・ガンゼンハウザー
(Stephen Gunzenhauser, 1942年4月8日- )
の指揮する

スロヴァキアの室内オーケストラ
カペラ・イストロポリターナ
(Cappella Istropolitana)の伴奏で、

オーストリアの作曲家
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756年1月27日-1791年12月5日)
ヴァイオリン協奏曲 第5番 等を聴きました。

西崎氏43&45歳の時(1987年6月&89年11月)の録音です

カペラ・イストロポリターナは、
スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーによって、
1983年に結成された室内オーケストラです。


モーツァルト
①ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K.219《トルコ風》
②アダージョ ホ長調 K.261
③ロンド ハ長調 K.373

西崎崇子(ヴァイオリン)
スティーヴン・ガンゼンハウザー(指揮)
カペラ・イストロポリターナ

録音:1987年6月(①)&89年11月(②③)、ブラティスラヴァ(スロヴァキア首都)、スロヴァキア・フィルハーモニック・コンサートホール(①)、モイゼス・ホール(②③)
【AVCL-25670】2007年12月

ヴァイオリン協奏曲 第5番 K.219は、
モーツァルト19歳の時(1775年12月20日)に完成された作品です

アダージョ ホ長調 K.261 は、恐らく1776年に、
協奏曲 第5番の第2楽章の代替楽章として作曲された作品です。

ロンド ハ長調 K.373 は、
作曲者25歳の時(1781年4月2日)に完成された作品です


  ***

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は、
後期のピアノ協奏曲や
クラリネット協奏曲ほどの深い印象は残さないものの、
聴いて楽しい気分に浸らせてくれる軽めの佳曲揃いだと思います。

第5番のほうは、
若い頃かろうじて自分でも弾いていたくらいなので、
良く知っている曲ですが、②③は初めて聴きました。

これまで聴いたことのないような
何か凄いものが聴けるわけではありませんが、

軽すぎず、重すぎず、
程良い味わいで聴かせるオーソドックスな演奏で、
素直にこの曲の美しさを味わうことができました。

もう少し何か、
プラスアルファになるものが欲しい気もするのですが、
変な小細工をすると壊れやすい曲でもあるので、

真正面から曲と向き合って、
通常聴かれるのに十分なレベルで再現されている分、
最初の1枚としてもお薦めできる演奏だと思いました。

オケともども
少々野暮ったさも感じられるところがあって、
手放しでは称賛できないのですが、
今後くり返し聴き込んでみたいと思いました。

調べてみると、
もとのNAXOSのほうでは、
モーツァルトの協奏曲全曲を録音されているので、
ほかもすべて揃えて、聴いてみようと思います。





※WIkipediaの「西崎崇子」「スティーヴン・ガンゼンハウザー」「カペラ・イストロポリターナ」「モーツァルトの楽曲一覧」の各項目を参照。





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2018年4月15日日曜日

バルシャイ&ケルン放送響のショスタコーヴィチ:交響曲第12番《1917年》

ロシア出身の指揮者
ルドルフ・バルシャイ
(1924年9月28日-2010年11月2日)が
68歳から76歳にかけて(1992年9月-2000年9月)、

ドイツのオーケストラ
ケルン放送交響楽団と録音した

ロシア帝国生まれの作曲家
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
(1906年9月25日-75年8月9日)
交響曲全集の8枚目、第12番《1917年》を聴きました。


CD8
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
交響曲第12番 ニ短調《1917年》作品114

ルドルフ・バルシャイ(指揮)
ケルン放送交響楽団

録音:1995年9月11-15日、ケルン、フィルハーモニー
【BRILIANT 6324/8】2001年12月


第11番と第12番はセットで解説します。

交響曲第11番《1905年》は、
第10交響曲の初演(1953年12月)から4年近くをへた
ショスタコーヴィチ51歳の時(1957年10月30日)に初演されました

交響曲第12番《1917年》は、
第11交響曲の初演(1957年10月)から4年近くをへた
ショスタコーヴィチ55歳の時(1961年10月1日)に初演されました

ロシア革命は、
《1905年》の「血の日曜日事件」にはじまるロシア第一革命と、
《1917年》の「二月革命」と、
 それに続く「十月革命」からなるロシア第二革命に分けられます。

ショスタコーヴィチの交響曲第11番と第12番は、
それぞれ1905年の「血の日曜日事件」と、
1917年の「十月革命」を主題とした作品です。

結果としてソ連の体制に迎合し、
革命を賛美した作品とも解釈できるので、
西側からはプロパガンダ音楽として批判を受け、

純粋に音楽のみで、
正当な評価が示されるようになったのは、
ソ連が倒れ、冷戦が終わってからのことだったそうです。


※WIkipediaの「交響曲第11番(ショスタコーヴィチ)」「交響曲第12番(ショスタコーヴィチ)」を参照。


  ***

第12番について
ショスタコーヴィチの交響曲の中では評価が高くない、
という解説を先に読んでいたので心配しましたが、

実際に聴いてみると、
難解なところのないわかりやすい曲で、
もっと演奏されても良い作品のように感じました。

とくに一気呵成に駆け抜けていく第1楽章は、
心を鷲づかみにされる勢いのある作品で、
傑作といっても良いように思われました。

ただし、
それに続く楽章は、確かに少し弱く、
若干安易にまとまっているように感じられました。

それでも、
だらだらと続いていくというよりは、
手短にこじんまりとまとめられていて、
飽きる間もなく聴き終えられるので、
演奏効果は高いように思われました。

第5番と同じ傾向の、
革命万歳でやんやと盛り上げる曲の一つだと考えれば、
第5番と同じ位の評価はあって良いでしょう。

ただもしかしたら、
バルシャイの指揮だからこそ、
中身のある曲に聴こえたのかもしれないので、
ほかの指揮者の録音も聴いてみたいと思いました。

第11・12番は、
聴いてみたら意外に聴きやすく、
面白い作品でした。

第13・14番はそうは簡単に行かなさそうな印象がありますが、どうでしょうか。





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2018年4月8日日曜日

西崎崇子&スロヴァキア・フィルのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏(1988年録音)

名古屋生まれ、
香港在住のヴァイオリニスト
西崎崇子(にしざきたかこ, 1944年4月14日- )
の独奏、

中国系アメリカ人の指揮者
ケネス・ジーン(Kenneth Jean/甄健豪, 1952年10月25日- )
の指揮する

スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団
の伴奏で、

ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(Ludwig van Beethoven, 1770年12月16日頃-1827年3月26日)
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調を聴きました。

西崎氏44歳の時(1988年7月)の録音です


ベートーヴェン
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
(カデンツァ:クライスラー)

西崎崇子(ヴァイオリン)
ケネス・ジーン(指揮)
スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1988年7月、ブラティスラヴァ(スロヴァキア首都)、レドゥタ・スタジオ
【AVCL-25669】2007年12月

ヴァイオリン協奏曲は、
ベートーヴェン36歳の時(1806年12月23日)に初演された作品です


  ***

こちらはブラームスと比べて、
ほぼ同じスタイルの演奏なのですが、

くり返し聴いて、
そこまで感動しない自分がいるのも確かです。

悪くはないのですが、
ベートーヴェンとしてはちょっと軽いというか、
あまり心にひっかかって来ない、
今一歩の演奏だと感じました。

また、
ガンゼンハウザーの指揮が、
大きくプラスに働いたブラームスと比べると、

今回指揮を担当したケネス・ジーンは、
ベートーヴェンらしい枠組みのがっちりした力強い音楽が、
それほど得意ではないようで、

可もなく不可もなくそつなくまとめているものの、
大きなプラスアルファのない軽めの伴奏になっていて、

独奏を引き立てる方向には、
あまり作用していないように感じました。

先のブラームスの出来が100点だとすると、
ベートーヴェンの出来は75点くらいでしょうか。

コンサートの実演で、
これくらい聴けたら十分満足できるレベルなのですが、

CDではあと一歩、
足りなさの残る録音だと思います。


  ***

この録音は、
軽い印象の残るエイベックス盤よりも。
もとのNAXOS盤のほうが、
荒々しい印象で、良い演奏に聴こえるかもしれません。

未聴なので、
近々手に入れて聴いてみてから、
再び報告したいと思います。



※WIkipediaの「西崎崇子」「ケネス・ジーン」「スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団」「ヴァイオリン協奏曲(ベートーヴェン)」の各項目を参照。


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2018年4月1日日曜日

バルシャイ&ケルン放送響のショスタコーヴィチ:交響曲第11番《1905年》

ロシア出身の指揮者
ルドルフ・バルシャイ
(1924年9月28日-2010年11月2日)が
68歳から76歳にかけて(1992年9月-2000年9月)

ドイツのオーケストラ
ケルン放送交響楽団と録音した

ロシア帝国生まれの作曲家
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906年9月25日-75年8月9日)
交響曲全集の7枚目、第11番《1905年》を聴きました。


CD7
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
交響曲第11番 ト短調《1905年》作品103

ルドルフ・バルシャイ(指揮)
ケルン放送交響楽団

録音:1999年5月3-7日、ケルン、フィルハーモニー
【BRILIANT 6324/7】

第11番と第12番はセットで解説します。

交響曲第11番《1905年》は、
第10交響曲の初演(1953年12月)から4年近くをへた
ショスタコーヴィチ51歳の時(1957年10月30日)に初演されました

交響曲第12番《1917年》は、
第11交響曲の初演(1957年10月)から4年近くをへた
ショスタコーヴィチ55歳の時(1961年10月1日)に初演されました

ロシア革命は、
《1905年》の「血の日曜日事件」にはじまるロシア第一革命と、
《1917年》の「二月革命」と、
 それに続く「十月革命」からなるロシア第二革命に分けられます。

ショスタコーヴィチの交響曲第11番と第12番は、
それぞれ1905年の「血の日曜日事件」と、
1917年の「十月革命」を主題とした作品です。

結果としてソ連の体制に迎合し、
革命を賛美した作品とも解釈できるので、
西側からはプロパガンダ音楽として批判を受け、

純粋に音楽のみで、
正当な評価が示されるようになったのは、
ソ連が倒れ、冷戦が終わってからのことだったそうです。


※WIkipediaの「交響曲第11番(ショスタコーヴィチ)」「交響曲第12番(ショスタコーヴィチ)」を参照。


  ***

第8番・第10番のように、
中身を掘り下げた抽象性の高い音楽ではなく、

第7番《レニングラード》のような、
わかりやすい作品だと思います。

ただ聴いて直ちに心をつかまれるというよりは、
数回聴き込むにつれ、だんだん耳に馴染んで来ました。

音楽そのものはそれほど自己主張せずに、
映画音楽のように一歩後ろに下がっている印象で、

元になる映画があるんだと言われたほうが、
より納得できるところがある曲でした。

第1楽章は、動きの少ない
静かで不気味な音楽が延々と続くので、
CDだと間をもたせるのが大変でしたが、

第2・4楽章は耳に残りやすい動きのある激しい音楽で、
一気に聴き進めることができました。

もとは《1905年》という映画のために作られた、
映画音楽なんだと言われたほうが納得できるのですが、
そういうわけではないようです。

バルシャイさんの録音、
外面的で過度な表現は避けながら、
深く内面に切り込んでいる分、
一聴地味な印象も受けますが、
聴き込むごとに曲の良さが染みてきました。

最新の録音ならどうだろうとも思うので、
近々、別の指揮者の録音も聴いてみようと思っています。



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