2018年4月15日日曜日

バルシャイ&ケルン放送響のショスタコーヴィチ:交響曲第12番《1917年》

ロシア出身の指揮者
ルドルフ・バルシャイ
(1924年9月28日-2010年11月2日)が
68歳から76歳にかけて(1992年9月-2000年9月)、

ドイツのオーケストラ
ケルン放送交響楽団と録音した

ロシア帝国生まれの作曲家
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
(1906年9月25日-75年8月9日)
交響曲全集の8枚目、第12番《1917年》を聴きました。


CD8
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
交響曲第12番 ニ短調《1917年》作品114

ルドルフ・バルシャイ(指揮)
ケルン放送交響楽団

録音:1995年9月11-15日、ケルン、フィルハーモニー
【BRILIANT 6324/8】2001年12月


第11番と第12番はセットで解説します。

交響曲第11番《1905年》は、
第10交響曲の初演(1953年12月)から4年近くをへた
ショスタコーヴィチ51歳の時(1957年10月30日)に初演されました

交響曲第12番《1917年》は、
第11交響曲の初演(1957年10月)から4年近くをへた
ショスタコーヴィチ55歳の時(1961年10月1日)に初演されました

ロシア革命は、
《1905年》の「血の日曜日事件」にはじまるロシア第一革命と、
《1917年》の「二月革命」と、
 それに続く「十月革命」からなるロシア第二革命に分けられます。

ショスタコーヴィチの交響曲第11番と第12番は、
それぞれ1905年の「血の日曜日事件」と、
1917年の「十月革命」を主題とした作品です。

結果としてソ連の体制に迎合し、
革命を賛美した作品とも解釈できるので、
西側からはプロパガンダ音楽として批判を受け、

純粋に音楽のみで、
正当な評価が示されるようになったのは、
ソ連が倒れ、冷戦が終わってからのことだったそうです。


※WIkipediaの「交響曲第11番(ショスタコーヴィチ)」「交響曲第12番(ショスタコーヴィチ)」を参照。


  ***

第12番について
ショスタコーヴィチの交響曲の中では評価が高くない、
という解説を先に読んでいたので心配しましたが、

実際に聴いてみると、
難解なところのないわかりやすい曲で、
もっと演奏されても良い作品のように感じました。

とくに一気呵成に駆け抜けていく第1楽章は、
心を鷲づかみにされる勢いのある作品で、
傑作といっても良いように思われました。

ただし、
それに続く楽章は、確かに少し弱く、
若干安易にまとまっているように感じられました。

それでも、
だらだらと続いていくというよりは、
手短にこじんまりとまとめられていて、
飽きる間もなく聴き終えられるので、
演奏効果は高いように思われました。

第5番と同じ傾向の、
革命万歳でやんやと盛り上げる曲の一つだと考えれば、
第5番と同じ位の評価はあって良いでしょう。

ただもしかしたら、
バルシャイの指揮だからこそ、
中身のある曲に聴こえたのかもしれないので、
ほかの指揮者の録音も聴いてみたいと思いました。

第11・12番は、
聴いてみたら意外に聴きやすく、
面白い作品でした。

第13・14番はそうは簡単に行かなさそうな印象がありますが、どうでしょうか。





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