エリアフ・インバル(Eliahu Inbal, 1936年2月- )
の指揮する
ドイツのオーケストラ
フランクフルト放送交響楽団
(2005年にhr交響楽団に改称)の演奏で、
オーストリア帝国の作曲家
アントン・ブルックナー
(Anton Bruckner, 1824年9月4日-1896年10月11日)の
交響曲第2番 ハ短調 を聴きました。
指揮者52歳の時(1988年6月)の録音です。
CD4
アントン・ブルックナー
交響曲第2番ハ短調(1877年稿) [ノヴァーク版]
録音:1988年6月。フランクフルト、アルテ・オーパー
フランクフルト放送交響楽団
エリアフ・インバル(指揮)
【TELDEC 11CD 2564 68022-8】※2014年4月発売
交響曲第2番ハ短調 は、
47歳の秋(1871年)に着手、
48歳の時(72年9月)に完成され、
49歳の時(73年10月)に初演されました。
この1872年9月に完成された楽譜を、
第1稿「1872年稿」と呼んでいます。
「1872年縞」は長らく未出版でしたが、
2005年にアメリカの音楽学者
ウィリアム・キャラガン(William Carragan, 1937- )
による校訂譜が出版されました。
キャラガンの研究自体は
1990年までにまとめられていたので、
1991年には「キャラガン版」として録音、紹介されていました。
完成した翌年(1873)に初演される際、
第1稿「1872年稿」そのままではなく、
すでに若干の改訂が行われていたことから、
初演時(1873年10月)の版を「1873年稿」と呼ぶことがあります。
さらに、
初演の1年4ヶ月後(1876年2月)に再演される際、
より大きな改訂が行われました。
この再演にもとづく改訂稿を、
第2稿「1877年稿」と呼んでいます。
***
その後、
国際ブルックナー協会による校訂譜として、
ハース版とノヴァーク版が出版されますが、
1938年に出版されたハース版は、
「1877年稿」を基本としつつも、
適宜「1872年稿」の情報を織り込んだ楽譜となりました。
さらに、
1965年に出版されたノヴァーク版は、ハース版から
「1872年稿」の情報をカットする方針で編纂されましたが、
実際は、一部に「1872年稿」の情報を残したまま出版されました。
つまりノヴァーク版とは、ハース版と同じく
「1877年稿」を基本としつつも、
多少「1872年稿」の情報が残された楽譜となりました。
指揮者の判断によって「1872年稿」の部分をカットし、
完全な「1877年稿」として演奏できるようにもなっていますが、
「1877年稿」そのままだと
第4楽章に大きなカットが生じてしまうので、
録音などでノヴァーク版を用いる場合、
カットなしの「1877(+72)年稿」の状態で
演奏されることのほうが多いようです。
ざっと見た限りでは、
インバルはノヴァーク版をカットなしで演奏しているので、
「1877(+72)年稿」を再現した演奏ということになります。
※以上、主に根岸一美(ねぎしかずみ)著『作曲家◎人と作品シリーズ ブルックナー』(音楽之友社、2006年6月)と、ノーヴァク著(大崎滋生訳)「序文」(ブルックナー作曲/ノーヴァク監修『OGT202 交響曲第二番ハ短調(1887年稿)』音楽之友社、1986年5月)を参照。
***
こちらもヨッフム&
シュターツカペレ・ドレスデンの演奏と比べると、
オケの音がきれいに整えられて、スコアに書かれた音が、
すべて鮮やかに再現されているような印象を受けました。
ただ、
ヨッフムの燃焼度の高い演奏を聴いた後だと、
インバルの場合は、どこか客観的に
この曲を見つめる冷静な視線が感じられるので、
曲全体として受ける感銘の深さは、
ヨッフムに一歩譲ると言わざるを得ません。
それでも、
楽譜を見通しよく正確に再現して、
この曲のもつ等身大の魅力を自然に引き出せていると思うので、
初めてこの曲に触れる方にも、
十分お薦めできる演奏だと思います。
インバルは2011年5月に、
東京都交響楽団とともに同曲を再録音しているので、
いずれそちらも聴いてみたいと思います。
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