ハンガリーの弦楽四重奏団
コダーイ四重奏団による、
オーストリアの作曲家
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
(Franz Joseph Haydn 1732.3 - 1809.5)の弦楽四重奏曲全集、
3枚目です。
ハイドン
弦楽四重奏曲 ニ短調 作品42〔Hob.Ⅲ-43〕第43番
弦楽四重奏曲 へ長調 作品2-4〔Hob.Ⅲ-10〕第10番
弦楽四重奏曲 変ロ長調 作品2-6〔Hob.Ⅲ-12〕第12番
コダーイ四重奏団
録音:1992年9月16-18日、ブダペスト、ユニテリアン教会
【Naxos 8.550399】
今一度、
ハイドンの初期の弦楽四重奏曲についてまとめておきましょう。
ハイドンの弦楽四重奏曲は、
ハイドン生前中(1801年)に弟子のプレイエル(1757-1831)によって、
最初の全集が刊行されました〔プレイエル版〕。
※プライエル版(第3版)で、全83曲が収録されたのに従い、
第1番から83番までの通番で呼ぶことがあります。
※ホーボーケン(1887-1983)の目録(1971)でも、
プライエル版に従い、Hob.Ⅲ-1~83 の番号が付されています。
さてこのプレイエル版において、
ハイドン初期の弦楽四重奏曲について、
◯第1~6番 作品1-1~6 〔Hob.Ⅲ-1~6〕
◯第7~12番 作品2-1~6 〔Hob.Ⅲ-7~12〕
◯第13~18番 作品3-1~6 〔Hob.Ⅲ-13~18〕
という整理が行われました。
作品1・2はハイドンが33・34歳のとき(1765・66年)、
作品3は45歳のとき(1777年)に、個別に出版されていたそうです。
この作品1・2・3の計18曲は、
ハイドン最晩年(1805年)の「ハイドン目録」でも、
本人が認めていたはずなのですが、
その後の研究によって、
◇作品3-1~6〔Hob.Ⅲ-13~18〕
の6曲は、ハイドンの信奉者
ロマン・ホフシュテッター(1742-1815)の贋作と考えられるようになりました。
そのほか、
◇変ロ長調 作品1-5〔Hob.Ⅲ-5〕は、
交響曲「A」〔Hob.Ⅰ-107〕の編曲、
◇変ホ長調 作品2-3〔Hob.Ⅲ-9〕は、
6声のディベルティメント〔Hob.Ⅱ-21〕の編曲、
◇ニ長調 作品2-5〔Hob.Ⅲ-11〕は、
6声のディベルティメント〔Hob.Ⅱ-22〕の編曲、
であったことがわかっています。
つまり作品1・2・3の計18曲のうち、
初期の弦楽四重奏曲として確実なのは、
◎作品1-1~4・6〔Hob.Ⅲ- 1~4・6〕
◎作品2-1・2・4・6〔Hob.Ⅲ- 7・8・10・12〕
の計9曲のみということになります。
さらに本来、初期の弦楽四重奏曲とすべき1曲が、
◎5声のディベルティメント 変ホ長調〔Hob.Ⅱ- 6〕
に誤って分類されていたことも明らかにされています。
これはプレイエル版の全集からは欠落しているため、
第0番と呼ばれることがあります。
つまり現在は、第0番を含めた計10曲を、
ハイドンの初期の弦楽四重奏曲と考えるのが通説になっているようです。
これらの作曲年代は、
ハイドン25歳から30歳(1757-62)のころと推定されています。
プレイエル版の通番とともにまとめておきます。
・第0番 変ホ長調〔Hob.Ⅱ-6〕
・第1番 変ロ長調 作品1-1〔Hob.Ⅲ-1〕
・第2番 変ホ長調 作品1-2〔Hob.Ⅲ-2〕
・第3番 ニ長調 作品1-3〔Hob.Ⅲ-3〕
・第4番 ト長調 作品1-4〔Hob.Ⅲ-4〕
※第5番 変ロ長調 作品1-5〔Hob.Ⅲ-4〕
・第6番 ハ長調 作品1-6〔Hob.Ⅲ-6〕
・第7番 イ長調 作品2-1〔Hob.Ⅲ-7〕
・第8番 ホ長調 作品2-2〔Hob.Ⅲ-8〕
※第9番 変ホ長調 作品2-3〔Hob.Ⅲ-9〕
・第10番 ヘ長調 作品2-4〔Hob.Ⅲ-10〕
※第11番 ニ長調 作品2-5〔Hob.Ⅲ-11〕
・第12番 変ロ長調 作品2-6〔Hob.Ⅲ-12〕
本CDには、このうち最後の2曲
第10番 ヘ長調 作品2-4〔Hob.Ⅲ-10〕
第12番 変ロ長調 作品2-6〔Hob.Ⅲ-12〕
ともう1曲、ハイドン中期の作品から、
第43番 ニ短調 作品42〔Hob.Ⅲ- 43〕
を添えた計3曲が収録されています。
※なおこのCDのケース裏面には、
「第35番」ニ短調 作品42
「第9番」ヘ長調 作品2-4
「第10番」変ロ長調 作品2-6
と記されており、作品の通番に誤りがあります。
『第43番』ニ短調 作品42
『第10番』ヘ長調 作品2-4
『第12番』変ロ長調 作品2-6
とするのが正解です。(CD解説の方は正しいです。)
***
このCDには1曲だけ、
1785年、ハイドンが53歳のときに作曲された
作品42が収録されていますので、その位置づけもまとめておきます。
ハイドンの弦楽四重奏曲は、作品3(全6曲)のあと、
作品9(全6曲)
作品17(全6曲)
作品20(全6曲)
作品33(全6曲)
が続きます。それからこの
作品42(全1曲)
が残された後、
作品50(全6曲)
作品51(全7曲)※「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」の編曲。
作品54(全3曲)
作品55(全3曲)
作品64(全6曲)
作品71(全3曲)
作品74(全3曲)
作品76(全6曲)
と続きます。基本的に
6曲(ないし3曲)を単位として作品がまとめられている中で、
作品42のみ1曲(4楽章)だけで構成されている点、
少し異質な存在ということになります。
作品42は1785年に作曲され、
自筆譜も残されているのですが、
この年ハイドンは弦楽四重奏曲を3曲作り、
そのうち2曲をスペインに送ったことが知られています。
(この2曲は現在に至るまで紛失中。)
つまり本来は3曲構成で作曲されたうちの
1曲が、この作品42である可能性が高いことになります。
なぜ1曲だけ残されたのかは不明ですが、
コンパクトに、
すっきりとした構成でまとまっている
1曲のみの作品なので、
このCDでは、初期の弦楽四重奏曲とともに取り上げてみたように思われます。
ただし一聴明らかに、
初期のものとは充実度が違います。
初期の作品ばかりで多少飽きが来ていた身には、よい清涼剤となりました。
***
演奏は作品42で、
ほどほどに深みのある古典的な美しさにハッとしたあと、
これまで聴いたのと同じく、
清楚でハツラツとした初期のハイドンの音楽が流れていきました。
十分に美しいはずなのですが、
さすがに似た感じで、多少飽きが来てしまいました。
※wikipedia の「フランツ・ヨーゼフ・ハイドン」
「ハイドンの弦楽四重奏曲一覧」「イグナツ・プライエル」
「ローマン・ホフシュテッター」の各項目を参照。
※JAIRO でインターネット上に公開されている
飯森豊水の論文「J.ハイドン作『初期弦楽四重奏曲』の帰属ジャンルをめぐって」
(『哲學』第86集、昭和63年6月)を参照。
※中野博詞『ハイドン復活』(春秋社、平成7年11月)を参照。
※現代音楽作曲家・福田陽氏の
「ハイドン研究室」〈http://www.masque-music.com/haydn/index.htm〉を参照。
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