朝比奈隆(1908年7月9日-2001年12月)氏が亡くなる前年に、
大阪フィルハーモニー交響楽団とともに収録された
ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(Ludwig van Beethoven, 1770年12月-1827年3月)
の交響曲全集から、第6番を聴きました。
朝比奈隆91歳の時(2000年3月10・12日)の録音です。
ベートーヴェン
Disc1
①交響曲第6番 ヘ長調 作品68《田園》
~2000年3月10日 大阪、フェスティバルホール
Disc2
②交響曲第6番 ヘ長調 作品68《田園》
~2000年3月12日 愛知県芸術劇場
大阪フィルハーモニー交響楽団
朝比奈隆(指揮)
【OVCL-00020】※2000年5月発売
交響曲第6番《田園》は、
ベートーヴェン38歳の時(1808年12月22日)に、
第5番とともに初演されました。
初演時は《田園》のほうが先に紹介され、
交響曲第5番ヘ長調《田園》
交響曲第6番ハ短調
とされていました。
***
このCDには10日の大阪公演と、
12日の愛知公演が収録されています。
どちらもほぼ同じ印象の演奏ですが、
愛知公演では後半の楽章に致命的なミスがあるので、
どちらか選ぶなら、大阪公演のほうだと思います。
ただ、その大阪公演にしても、
実に素朴な、何も構えたところのない演奏で、
あれっ、これでいいのかなと思っているうちに
最後まで来てしまう、そんな演奏でした。
特に期待をしなければ、
また、無個性なきれいなだけの演奏と比べるなら、
ふつうに楽しめると思いますが、
正直なところ、しばらく聴き込んだ印象では、
今一つ気の抜けた踏み込みの足りない演奏のように感じました。
今後聴き直して、
最晩年の枯淡の境地として気が付くところもあるのかもしれませんが、
今はそれほどの演奏には思えませんでした。
なお気になって、
97年12月に Canyon Classics から発売された全集で
《田園》を聴き直してみたところ、
97年録音のほうが断然優れた演奏に聴こえました。
詳しくは別の機会に譲ります。
***
エクストンから
2008年12月に発売された全集のセット盤では、
3月10日の大阪公演(①)のほうが収録されています。
2018年12月23日日曜日
2018年12月9日日曜日
ブレンデルのシューベルト:ピアノ作品集その7(1971-74年録音)
チェコスロバキア共和国(現・チェコ共和国)
モラヴィア地方生まれのピアニスト、
アルフレード・ブレンデル
(Alfred Brendel, 1931年1月- )が、
40代前半の時(1971-74年)に録音した
オーストリアの作曲家
フランツ・シューベルト
(Franz Schubert, 1797年1月 - 1828年11月)の
ピアノ作品集の7枚目(最後の1枚)を聴きました。
シューベルト:ピアノ作品集
CD7
①幻想曲ハ長調 作品15《さすらい人》 D760(1972年録音)
②楽興の時 作品94 D780(1972年録音)
③12のドイツ舞曲(レントラー)D790(1972年録音)
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)
【Eloquence 480 1218】※2008年発売
①《さすらい人幻想曲》作品15 は、
シューベルト25歳の時(1822)に作曲、出版された作品です。
4楽章からなる作品ですが、続けて演奏されます。
リストがピアノ・ソナタを作曲する際に、
大きな影響を受けたといわれれば、
何となく似ていることに気がつかされます。
リストによる《さすらい人幻想曲》の
ピアノ協奏曲への編曲版もあるそうなので、
いずれ聴いてみようと思います。
若々しい印象の作品なので、
最後の作品群のなかに混ぜられると場違いな感じもしますが、
充実した内容のよく出来た作品だと思います。
②《楽興の時》作品94 は、
26から31歳(1823-28)までに作曲された作品です。
即興曲よりもさらに色々な様式の小品を6曲。
一見無造作に、
しかし絶妙なバランスでまとめられていて、
小さな歌曲集を聴くような趣きがありました。
第3番が突出して有名ですが、
6曲全体として不思議な統一感を醸し出しているようにも聴こえたので、
ほかのピアニストの演奏も聴いてみたいと思いました。
③ 12のドイツ舞曲(レントラー) D790 は、
26歳の時(1823年5月)に作曲された作品です。
調べてみると、シューベルトは
ピアノによる舞曲集を他にもたくさん残しているのですが、
その中でも良くできた1曲のようで、
かのコルトーを始めとして録音がいろいろ見つかりました。
シューベルトの舞曲は、
今一つ霊感に乏しい軽めのものが多い印象だったので、
隠れた名曲に出会えた気がしました。
ソナタだけでは寂しいので、
今後は舞曲集にも注目していきたいと思います。
***
ブレンデルのシューベルト、
無色透明、純粋無垢な路線で、
一聴ほんの少し押しが足りないような、
没個性的な印象を受けるのですが、
聴き込むほどに、
曲本来の美しさが伝わって来て、
シューベルトの面白さをじっくり味わうことが出来ました。
ただし、
ある程度聴き込まなければ、
良さが伝わりにくい面もあるので、
これがシューベルトのベスト演奏かといわれれば、
私の好みとは違うような気もします。
ブレンデルは15年程をへた
50代後半(1987-88年)のときに、
これらの曲を再録音しているので、
そちらを聴けば、今回の不満が解消されている可能性は高いですが、
それはもう少し先の楽しみに取っておきます。
最近、
ウィーン生まれのピアニスト
パウル・バドゥラ=スコダ
(Paul Badura-Skoda, 1927年10月6日- )が
39-43歳の時(1967年5月-71年5月)に録音した、
シューベルトのピアノ・ソナタ全集を手に入れたので、
次はこちらを聴いていこうと思っています。
ブレンデルよりずっと前の録音かと思っていたら、
ブレンデルより3年歳上なだけで、
録音もほぼ同じ時期であることがわかりました。
どちらかというと、ブレンデル以上に、
シューベルトの演奏に生涯を捧げているピアニストなので、
期待して聴いてみたいと思います。
モラヴィア地方生まれのピアニスト、
アルフレード・ブレンデル
(Alfred Brendel, 1931年1月- )が、
40代前半の時(1971-74年)に録音した
オーストリアの作曲家
フランツ・シューベルト
(Franz Schubert, 1797年1月 - 1828年11月)の
ピアノ作品集の7枚目(最後の1枚)を聴きました。
シューベルト:ピアノ作品集
CD7
①幻想曲ハ長調 作品15《さすらい人》 D760(1972年録音)
②楽興の時 作品94 D780(1972年録音)
③12のドイツ舞曲(レントラー)D790(1972年録音)
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)
【Eloquence 480 1218】※2008年発売
①《さすらい人幻想曲》作品15 は、
シューベルト25歳の時(1822)に作曲、出版された作品です。
4楽章からなる作品ですが、続けて演奏されます。
リストがピアノ・ソナタを作曲する際に、
大きな影響を受けたといわれれば、
何となく似ていることに気がつかされます。
リストによる《さすらい人幻想曲》の
ピアノ協奏曲への編曲版もあるそうなので、
いずれ聴いてみようと思います。
若々しい印象の作品なので、
最後の作品群のなかに混ぜられると場違いな感じもしますが、
充実した内容のよく出来た作品だと思います。
②《楽興の時》作品94 は、
26から31歳(1823-28)までに作曲された作品です。
即興曲よりもさらに色々な様式の小品を6曲。
一見無造作に、
しかし絶妙なバランスでまとめられていて、
小さな歌曲集を聴くような趣きがありました。
第3番が突出して有名ですが、
6曲全体として不思議な統一感を醸し出しているようにも聴こえたので、
ほかのピアニストの演奏も聴いてみたいと思いました。
③ 12のドイツ舞曲(レントラー) D790 は、
26歳の時(1823年5月)に作曲された作品です。
調べてみると、シューベルトは
ピアノによる舞曲集を他にもたくさん残しているのですが、
その中でも良くできた1曲のようで、
かのコルトーを始めとして録音がいろいろ見つかりました。
シューベルトの舞曲は、
今一つ霊感に乏しい軽めのものが多い印象だったので、
隠れた名曲に出会えた気がしました。
ソナタだけでは寂しいので、
今後は舞曲集にも注目していきたいと思います。
***
ブレンデルのシューベルト、
無色透明、純粋無垢な路線で、
一聴ほんの少し押しが足りないような、
没個性的な印象を受けるのですが、
聴き込むほどに、
曲本来の美しさが伝わって来て、
シューベルトの面白さをじっくり味わうことが出来ました。
ただし、
ある程度聴き込まなければ、
良さが伝わりにくい面もあるので、
これがシューベルトのベスト演奏かといわれれば、
私の好みとは違うような気もします。
ブレンデルは15年程をへた
50代後半(1987-88年)のときに、
これらの曲を再録音しているので、
そちらを聴けば、今回の不満が解消されている可能性は高いですが、
それはもう少し先の楽しみに取っておきます。
最近、
ウィーン生まれのピアニスト
パウル・バドゥラ=スコダ
(Paul Badura-Skoda, 1927年10月6日- )が
39-43歳の時(1967年5月-71年5月)に録音した、
シューベルトのピアノ・ソナタ全集を手に入れたので、
次はこちらを聴いていこうと思っています。
ブレンデルよりずっと前の録音かと思っていたら、
ブレンデルより3年歳上なだけで、
録音もほぼ同じ時期であることがわかりました。
どちらかというと、ブレンデル以上に、
シューベルトの演奏に生涯を捧げているピアニストなので、
期待して聴いてみたいと思います。
2018年12月2日日曜日
ブレンデルのシューベルト:ピアノ作品集その6(1971-74年録音)
チェコスロバキア共和国(現・チェコ共和国)
モラヴィア地方生まれのピアニスト、
アルフレード・ブレンデル
(Alfred Brendel, 1931年1月- )が、
40代前半の時(1971-74年)に録音した
オーストリアの作曲家
フランツ・シューベルト
(Franz Schubert, 1797年1月 - 1828年11月)の
ピアノ作品集の6枚目を聴きました。
シューベルト:ピアノ作品集
CD6
①4つの即興曲 作品90 D899(1972年録音)
②4つの即興曲 作品142 D935(1975年録音)
③16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ 作品33 D783(1974年録音)
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)
【Eloquence 480 1218】※2008年発売
ブレンデルが40代前半のときに録音した
シューベルト:ピアノ作品集、
残るは2枚のみとなりました。
ソナタはすべて聴いて、
あとは2つの即興曲集と「楽興の時」、
そして「さすらい人幻想曲」が残っています。
CD6枚目には、
2つの即興曲集が収録されています。
①4つの即興曲 作品90 D899
②4つの即興曲 作品142 D935
は、シューベルトが30歳(1827年)の頃に作曲されました。
亡くなる年(1828)に、
最後の3つのピアノソナタが書かれますが、
その前年に生み出された傑作です。
ピアノ・ソナタ第19番 ハ短調 D958
ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959
ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960
有名な曲集ですが、子供の頃に、
私の母が運営するピアノ教室で、
度々聴き馴染んでいたからか、
凡庸な練習曲の一つというイメージがついてしまって、
霊感あふれる傑作だと確信できたのは最近のことです。
今回、ブレンデルのくせのない美しいタッチのピアノで、
シューベルト独特のメロディと和声が心に入って来て、
しみじみ良い曲であることを実感できました。
聴き返すたびに染みてくる分、
一回聴くだけだとほんの少し、
個性が弱いようにも感じるので、
より有名な再録音のほうも聴いてみたいなと思いました。
このCDには、もう一曲、
③16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ 作品33 D783
が収録されています。
シューベルトが26-27歳の頃(1823-24)に作曲された作品です。
数回繰り返して聴いた印象では、
さほど特徴のないスケッチを寄せ集めただけの、
①②と同列には扱えない作品でした。
①②の印象がぼやけてしまう分、
収録しなかったほうが良かったのでは、
と思いました。
モラヴィア地方生まれのピアニスト、
アルフレード・ブレンデル
(Alfred Brendel, 1931年1月- )が、
40代前半の時(1971-74年)に録音した
オーストリアの作曲家
フランツ・シューベルト
(Franz Schubert, 1797年1月 - 1828年11月)の
ピアノ作品集の6枚目を聴きました。
シューベルト:ピアノ作品集
CD6
①4つの即興曲 作品90 D899(1972年録音)
②4つの即興曲 作品142 D935(1975年録音)
③16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ 作品33 D783(1974年録音)
アルフレート・ブレンデル(ピアノ)
【Eloquence 480 1218】※2008年発売
ブレンデルが40代前半のときに録音した
シューベルト:ピアノ作品集、
残るは2枚のみとなりました。
ソナタはすべて聴いて、
あとは2つの即興曲集と「楽興の時」、
そして「さすらい人幻想曲」が残っています。
CD6枚目には、
2つの即興曲集が収録されています。
①4つの即興曲 作品90 D899
②4つの即興曲 作品142 D935
は、シューベルトが30歳(1827年)の頃に作曲されました。
亡くなる年(1828)に、
最後の3つのピアノソナタが書かれますが、
その前年に生み出された傑作です。
ピアノ・ソナタ第19番 ハ短調 D958
ピアノ・ソナタ第20番 イ長調 D959
ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960
有名な曲集ですが、子供の頃に、
私の母が運営するピアノ教室で、
度々聴き馴染んでいたからか、
凡庸な練習曲の一つというイメージがついてしまって、
霊感あふれる傑作だと確信できたのは最近のことです。
今回、ブレンデルのくせのない美しいタッチのピアノで、
シューベルト独特のメロディと和声が心に入って来て、
しみじみ良い曲であることを実感できました。
聴き返すたびに染みてくる分、
一回聴くだけだとほんの少し、
個性が弱いようにも感じるので、
より有名な再録音のほうも聴いてみたいなと思いました。
このCDには、もう一曲、
③16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ 作品33 D783
が収録されています。
シューベルトが26-27歳の頃(1823-24)に作曲された作品です。
数回繰り返して聴いた印象では、
さほど特徴のないスケッチを寄せ集めただけの、
①②と同列には扱えない作品でした。
①②の印象がぼやけてしまう分、
収録しなかったほうが良かったのでは、
と思いました。
2018年11月18日日曜日
朝比奈隆&大阪フィルのベートーヴェン:交響曲第5番(2000年5月録音)
朝比奈隆(1908年7月9日-2001年12月)氏が亡くなる前年に、
大阪フィルハーモニー交響楽団とともに収録された
ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(Ludwig van Beethoven, 1770年12月16日頃-1827年3月26日)
の交響曲全集から、第5番を聴きました。
朝比奈隆91歳の時(2000年5月3・10日)の録音です。
ベートーヴェン
Disc1
①交響曲第5番 ハ短調 作品67《運命》
~2000年5月3日 アクロス福岡・シンフォニーホール
Disc2
②交響曲第5番 ハ短調 作品67《運命》
~2000年5月10日 大阪、ザ・シンフォニーホール
大阪フィルハーモニー交響楽団
朝比奈隆(指揮)
【OVCL-00021】※2000年6月発売
交響曲第5番は、
ベートーヴェン38歳の時(1808年12月22日)に、
第6番《田園》とともに初演されました。
初演時は《田園》のほうが先に紹介され、
交響曲第5番ヘ長調《田園》
交響曲第6番ハ短調
とされていました。
***
こちらは〔Disc 1〕の福岡公演で、
普通なら発売を見合わせたかも、
と思わせるミスが出だしで起きてしまい、
全体にちぐはぐな印象の演奏になってしまったので、
元々〔Disc 2〕大阪公演に期待するしかありませんでした。
一週間後に行われた大阪公演では、
ミスを挽回する意図もあったのか、
程良い緊張感のはりつめた中、
充実した響きの名演が繰り広げられていました。
この最後の全集では、
ポニーキャニオンで録音した過去2度の全集のときよりも、
アンサンブルに一層磨きがかけられ、
聴きやすく美しいオケの響きが特徴的で、
この《運命》もオケの自然な響きの中に、
朝比奈ならではの雄渾な音楽が実現されていて、
素直に感動できました。
なおエクストンから
2008年12月に発売された全集のセット盤には、
5月10日の大阪公演(Disc 2)のほうが収録されました。
こちらは大阪公演がはるかに優れているので、
今後2枚組のほうをあえて購入する必要はないでしょう。
大阪フィルハーモニー交響楽団とともに収録された
ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(Ludwig van Beethoven, 1770年12月16日頃-1827年3月26日)
の交響曲全集から、第5番を聴きました。
朝比奈隆91歳の時(2000年5月3・10日)の録音です。
ベートーヴェン
Disc1
①交響曲第5番 ハ短調 作品67《運命》
~2000年5月3日 アクロス福岡・シンフォニーホール
Disc2
②交響曲第5番 ハ短調 作品67《運命》
~2000年5月10日 大阪、ザ・シンフォニーホール
大阪フィルハーモニー交響楽団
朝比奈隆(指揮)
【OVCL-00021】※2000年6月発売
交響曲第5番は、
ベートーヴェン38歳の時(1808年12月22日)に、
第6番《田園》とともに初演されました。
初演時は《田園》のほうが先に紹介され、
交響曲第5番ヘ長調《田園》
交響曲第6番ハ短調
とされていました。
***
こちらは〔Disc 1〕の福岡公演で、
普通なら発売を見合わせたかも、
と思わせるミスが出だしで起きてしまい、
全体にちぐはぐな印象の演奏になってしまったので、
元々〔Disc 2〕大阪公演に期待するしかありませんでした。
一週間後に行われた大阪公演では、
ミスを挽回する意図もあったのか、
程良い緊張感のはりつめた中、
充実した響きの名演が繰り広げられていました。
この最後の全集では、
ポニーキャニオンで録音した過去2度の全集のときよりも、
アンサンブルに一層磨きがかけられ、
聴きやすく美しいオケの響きが特徴的で、
この《運命》もオケの自然な響きの中に、
朝比奈ならではの雄渾な音楽が実現されていて、
素直に感動できました。
なおエクストンから
2008年12月に発売された全集のセット盤には、
5月10日の大阪公演(Disc 2)のほうが収録されました。
こちらは大阪公演がはるかに優れているので、
今後2枚組のほうをあえて購入する必要はないでしょう。
2018年11月11日日曜日
インバル&フランクフルト放送響のブルックナー:交響曲第2番(1988年録音)
イスラエルの指揮者
エリアフ・インバル(Eliahu Inbal, 1936年2月- )
の指揮する
ドイツのオーケストラ
フランクフルト放送交響楽団
(2005年にhr交響楽団に改称)の演奏で、
オーストリア帝国の作曲家
アントン・ブルックナー
(Anton Bruckner, 1824年9月4日-1896年10月11日)の
交響曲第2番 ハ短調 を聴きました。
指揮者52歳の時(1988年6月)の録音です。
CD4
アントン・ブルックナー
交響曲第2番ハ短調(1877年稿) [ノヴァーク版]
録音:1988年6月。フランクフルト、アルテ・オーパー
フランクフルト放送交響楽団
エリアフ・インバル(指揮)
【TELDEC 11CD 2564 68022-8】※2014年4月発売
交響曲第2番ハ短調 は、
47歳の秋(1871年)に着手、
48歳の時(72年9月)に完成され、
49歳の時(73年10月)に初演されました。
この1872年9月に完成された楽譜を、
第1稿「1872年稿」と呼んでいます。
「1872年縞」は長らく未出版でしたが、
2005年にアメリカの音楽学者
ウィリアム・キャラガン(William Carragan, 1937- )
による校訂譜が出版されました。
キャラガンの研究自体は
1990年までにまとめられていたので、
1991年には「キャラガン版」として録音、紹介されていました。
完成した翌年(1873)に初演される際、
第1稿「1872年稿」そのままではなく、
すでに若干の改訂が行われていたことから、
初演時(1873年10月)の版を「1873年稿」と呼ぶことがあります。
さらに、
初演の1年4ヶ月後(1876年2月)に再演される際、
より大きな改訂が行われました。
この再演にもとづく改訂稿を、
第2稿「1877年稿」と呼んでいます。
***
その後、
国際ブルックナー協会による校訂譜として、
ハース版とノヴァーク版が出版されますが、
1938年に出版されたハース版は、
「1877年稿」を基本としつつも、
適宜「1872年稿」の情報を織り込んだ楽譜となりました。
さらに、
1965年に出版されたノヴァーク版は、ハース版から
「1872年稿」の情報をカットする方針で編纂されましたが、
実際は、一部に「1872年稿」の情報を残したまま出版されました。
つまりノヴァーク版とは、ハース版と同じく
「1877年稿」を基本としつつも、
多少「1872年稿」の情報が残された楽譜となりました。
指揮者の判断によって「1872年稿」の部分をカットし、
完全な「1877年稿」として演奏できるようにもなっていますが、
「1877年稿」そのままだと
第4楽章に大きなカットが生じてしまうので、
録音などでノヴァーク版を用いる場合、
カットなしの「1877(+72)年稿」の状態で
演奏されることのほうが多いようです。
ざっと見た限りでは、
インバルはノヴァーク版をカットなしで演奏しているので、
「1877(+72)年稿」を再現した演奏ということになります。
※以上、主に根岸一美(ねぎしかずみ)著『作曲家◎人と作品シリーズ ブルックナー』(音楽之友社、2006年6月)と、ノーヴァク著(大崎滋生訳)「序文」(ブルックナー作曲/ノーヴァク監修『OGT202 交響曲第二番ハ短調(1887年稿)』音楽之友社、1986年5月)を参照。
***
こちらもヨッフム&
シュターツカペレ・ドレスデンの演奏と比べると、
オケの音がきれいに整えられて、スコアに書かれた音が、
すべて鮮やかに再現されているような印象を受けました。
ただ、
ヨッフムの燃焼度の高い演奏を聴いた後だと、
インバルの場合は、どこか客観的に
この曲を見つめる冷静な視線が感じられるので、
曲全体として受ける感銘の深さは、
ヨッフムに一歩譲ると言わざるを得ません。
それでも、
楽譜を見通しよく正確に再現して、
この曲のもつ等身大の魅力を自然に引き出せていると思うので、
初めてこの曲に触れる方にも、
十分お薦めできる演奏だと思います。
インバルは2011年5月に、
東京都交響楽団とともに同曲を再録音しているので、
いずれそちらも聴いてみたいと思います。
エリアフ・インバル(Eliahu Inbal, 1936年2月- )
の指揮する
ドイツのオーケストラ
フランクフルト放送交響楽団
(2005年にhr交響楽団に改称)の演奏で、
オーストリア帝国の作曲家
アントン・ブルックナー
(Anton Bruckner, 1824年9月4日-1896年10月11日)の
交響曲第2番 ハ短調 を聴きました。
指揮者52歳の時(1988年6月)の録音です。
CD4
アントン・ブルックナー
交響曲第2番ハ短調(1877年稿) [ノヴァーク版]
録音:1988年6月。フランクフルト、アルテ・オーパー
フランクフルト放送交響楽団
エリアフ・インバル(指揮)
【TELDEC 11CD 2564 68022-8】※2014年4月発売
交響曲第2番ハ短調 は、
47歳の秋(1871年)に着手、
48歳の時(72年9月)に完成され、
49歳の時(73年10月)に初演されました。
この1872年9月に完成された楽譜を、
第1稿「1872年稿」と呼んでいます。
「1872年縞」は長らく未出版でしたが、
2005年にアメリカの音楽学者
ウィリアム・キャラガン(William Carragan, 1937- )
による校訂譜が出版されました。
キャラガンの研究自体は
1990年までにまとめられていたので、
1991年には「キャラガン版」として録音、紹介されていました。
完成した翌年(1873)に初演される際、
第1稿「1872年稿」そのままではなく、
すでに若干の改訂が行われていたことから、
初演時(1873年10月)の版を「1873年稿」と呼ぶことがあります。
さらに、
初演の1年4ヶ月後(1876年2月)に再演される際、
より大きな改訂が行われました。
この再演にもとづく改訂稿を、
第2稿「1877年稿」と呼んでいます。
***
その後、
国際ブルックナー協会による校訂譜として、
ハース版とノヴァーク版が出版されますが、
1938年に出版されたハース版は、
「1877年稿」を基本としつつも、
適宜「1872年稿」の情報を織り込んだ楽譜となりました。
さらに、
1965年に出版されたノヴァーク版は、ハース版から
「1872年稿」の情報をカットする方針で編纂されましたが、
実際は、一部に「1872年稿」の情報を残したまま出版されました。
つまりノヴァーク版とは、ハース版と同じく
「1877年稿」を基本としつつも、
多少「1872年稿」の情報が残された楽譜となりました。
指揮者の判断によって「1872年稿」の部分をカットし、
完全な「1877年稿」として演奏できるようにもなっていますが、
「1877年稿」そのままだと
第4楽章に大きなカットが生じてしまうので、
録音などでノヴァーク版を用いる場合、
カットなしの「1877(+72)年稿」の状態で
演奏されることのほうが多いようです。
ざっと見た限りでは、
インバルはノヴァーク版をカットなしで演奏しているので、
「1877(+72)年稿」を再現した演奏ということになります。
※以上、主に根岸一美(ねぎしかずみ)著『作曲家◎人と作品シリーズ ブルックナー』(音楽之友社、2006年6月)と、ノーヴァク著(大崎滋生訳)「序文」(ブルックナー作曲/ノーヴァク監修『OGT202 交響曲第二番ハ短調(1887年稿)』音楽之友社、1986年5月)を参照。
***
こちらもヨッフム&
シュターツカペレ・ドレスデンの演奏と比べると、
オケの音がきれいに整えられて、スコアに書かれた音が、
すべて鮮やかに再現されているような印象を受けました。
ただ、
ヨッフムの燃焼度の高い演奏を聴いた後だと、
インバルの場合は、どこか客観的に
この曲を見つめる冷静な視線が感じられるので、
曲全体として受ける感銘の深さは、
ヨッフムに一歩譲ると言わざるを得ません。
それでも、
楽譜を見通しよく正確に再現して、
この曲のもつ等身大の魅力を自然に引き出せていると思うので、
初めてこの曲に触れる方にも、
十分お薦めできる演奏だと思います。
インバルは2011年5月に、
東京都交響楽団とともに同曲を再録音しているので、
いずれそちらも聴いてみたいと思います。
2018年11月4日日曜日
インバル&フランクフルト放送響のブルックナー:交響曲第1番(1987年録音)
イスラエルの指揮者
エリアフ・インバル(Eliahu Inbal, 1936年2月- )
の指揮する
ドイツのオーケストラ
フランクフルト放送交響楽団
(2005年にhr交響楽団に改称)の演奏で、
オーストリア帝国の作曲家
アントン・ブルックナー
(Anton Bruckner, 1824年9月4日-1896年10月11日)の
交響曲第1番 ハ短調 を聴きました。
指揮者50歳の時(1987年1月)の録音です。
CD3
アントン・ブルックナー
交響曲第1番ハ短調(リンツ稿) [ノヴァーク版]
録音:1987年1月(ライブ録音)。フランクフルト、アルテ・オーパー
フランクフルト放送交響楽団
エリアフ・インバル(指揮)
録音:1982~88年月。フランクフルト、アルテ・オーパー
【TELDEC 11CD 2564 68022-8】※2014年4月発売
交響曲第1番 ヘ短調 は、
ブルックナーが
41歳の時(1865)に着手、
42歳の時(1866)に完成し、
44歳の時(1868)に初演されました。
この第1稿を「リンツ稿」と呼んでいます。
その後1877年と84年に細部の改訂が行われたので、
1935年に出版された
ハース校訂の「リンツ稿」(第1稿)では、
1877年の改訂を含めた状態で出版されました。
第1稿の初演から22年をへた
66歳の時(1890)に全面改訂が行われ、
翌91年に改訂稿の初演が行われました。
この第2稿を「ウィーン稿」と呼んでいます。
改訂稿の初演から2年後(1893)、
「ウィーン稿」(第2稿)に基づく「初版」が出版されました。
ブルックナーはこの3年後、
72歳の時(1896)に亡くなりますが、
1935年にハース校訂の「リンツ稿」が出版されるまで、
40年余り、第1番の出版譜は「ウィーン稿」しか存在しませんでした。
本格的な校訂譜としては、1935年に、
ハース校訂による「ウィーン稿」と「リンツ稿」が出版され、
その後、
1953年にノヴァーク校訂による「リンツ稿」が、
1979年にノヴァーク校訂による「ウィーン稿」が
それぞれ出版されました。
ノヴァーク版の「ウィーン稿」は、
実際の校訂者名をとって「ブロッシェ版」と呼ばれることもあるそうです。
このCDでは、
1953年に出版されたノヴァーク校訂による
「リンツ稿」が用いられています。
※根岸一美『作曲家◎人と作品 ブルックナー』(音楽之友社、2006年6月)と、Wikipediaの「交響曲第1番(ブルックナー)」の項を参照。
***
ヨッフム&ドレスデン・シュターツカペレを聴いた後だと、
オケの音色が澄んで、
きれいに整っていることに気付かされます。
楽譜がきれいに鳴っているので、
スコア・リーディングにはもってこいの演奏ですが、
だからといって、
きれいなだけで無表情に聴こえる訳ではなく、
感動的に最後まで聴き通すことができるので、
持っていて後悔することはない、模範的な演奏だと思います。
どちらが感動するかといえば、
ヨッフム&ドレスデン・シュターツカペレのほうですが、
全体の構造がより伝わりやすいのは、
インバル&フランクフルト放送響のほうだと思います。
音質が多少硬めに聴こえるので、
マーラーのように、
Blu-spec CD などの音質改善があれば、
なおのこと聴き映えするはずですが、
今のままでも大きな不満はありません。
エリアフ・インバル(Eliahu Inbal, 1936年2月- )
の指揮する
ドイツのオーケストラ
フランクフルト放送交響楽団
(2005年にhr交響楽団に改称)の演奏で、
オーストリア帝国の作曲家
アントン・ブルックナー
(Anton Bruckner, 1824年9月4日-1896年10月11日)の
交響曲第1番 ハ短調 を聴きました。
指揮者50歳の時(1987年1月)の録音です。
CD3
アントン・ブルックナー
交響曲第1番ハ短調(リンツ稿) [ノヴァーク版]
録音:1987年1月(ライブ録音)。フランクフルト、アルテ・オーパー
フランクフルト放送交響楽団
エリアフ・インバル(指揮)
録音:1982~88年月。フランクフルト、アルテ・オーパー
【TELDEC 11CD 2564 68022-8】※2014年4月発売
交響曲第1番 ヘ短調 は、
ブルックナーが
41歳の時(1865)に着手、
42歳の時(1866)に完成し、
44歳の時(1868)に初演されました。
この第1稿を「リンツ稿」と呼んでいます。
その後1877年と84年に細部の改訂が行われたので、
1935年に出版された
ハース校訂の「リンツ稿」(第1稿)では、
1877年の改訂を含めた状態で出版されました。
第1稿の初演から22年をへた
66歳の時(1890)に全面改訂が行われ、
翌91年に改訂稿の初演が行われました。
この第2稿を「ウィーン稿」と呼んでいます。
改訂稿の初演から2年後(1893)、
「ウィーン稿」(第2稿)に基づく「初版」が出版されました。
ブルックナーはこの3年後、
72歳の時(1896)に亡くなりますが、
1935年にハース校訂の「リンツ稿」が出版されるまで、
40年余り、第1番の出版譜は「ウィーン稿」しか存在しませんでした。
本格的な校訂譜としては、1935年に、
ハース校訂による「ウィーン稿」と「リンツ稿」が出版され、
その後、
1953年にノヴァーク校訂による「リンツ稿」が、
1979年にノヴァーク校訂による「ウィーン稿」が
それぞれ出版されました。
ノヴァーク版の「ウィーン稿」は、
実際の校訂者名をとって「ブロッシェ版」と呼ばれることもあるそうです。
このCDでは、
1953年に出版されたノヴァーク校訂による
「リンツ稿」が用いられています。
※根岸一美『作曲家◎人と作品 ブルックナー』(音楽之友社、2006年6月)と、Wikipediaの「交響曲第1番(ブルックナー)」の項を参照。
***
ヨッフム&ドレスデン・シュターツカペレを聴いた後だと、
オケの音色が澄んで、
きれいに整っていることに気付かされます。
楽譜がきれいに鳴っているので、
スコア・リーディングにはもってこいの演奏ですが、
だからといって、
きれいなだけで無表情に聴こえる訳ではなく、
感動的に最後まで聴き通すことができるので、
持っていて後悔することはない、模範的な演奏だと思います。
どちらが感動するかといえば、
ヨッフム&ドレスデン・シュターツカペレのほうですが、
全体の構造がより伝わりやすいのは、
インバル&フランクフルト放送響のほうだと思います。
音質が多少硬めに聴こえるので、
マーラーのように、
Blu-spec CD などの音質改善があれば、
なおのこと聴き映えするはずですが、
今のままでも大きな不満はありません。
2018年10月21日日曜日
朝比奈隆&大阪フィルのベートーヴェン:交響曲第4番(2000年5月録音)
朝比奈隆(1908年7月9日-2001年12月)氏が亡くなる前年に、
大阪フィルハーモニー交響楽団とともに収録された
ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(Ludwig van Beethoven, 1770年12月-1827年3月)
の交響曲全集から、第4番を聴きました。
朝比奈隆91歳の時(2000年5月3・10日)の録音です。
ベートーヴェン
Disc1
①交響曲第4番 変ロ長調 作品60
~2000年5月3日 アクロス福岡・シンフォニーホール
Disc2
②交響曲第4番 変ロ長調 作品60
~2000年5月10日 大阪、ザ・シンフォニーホール
大阪フィルハーモニー交響楽団
朝比奈隆(指揮)
【OVCL-00023】※2000年7月発売
交響曲第4番 変ロ長調 作品60 は、
第3番の初演(1804年12月)から2年余りをへた、
ベートーヴェン36歳の時(1807年3月)に初演された作品です。
ちなみに第5・6番が初演されたのは、
それから1年9ヶ月後(1808年12月)のことでした。
***
先に行われた〔Disc1〕福岡公演から、
完成度の高い充実した演奏が繰り広げられていますが、
福岡の一週間後に行われた〔Disc 2〕大阪公演は、
さらに隙のない完璧な仕上がりで、
指揮者の強い意志の伝わる熱い演奏に、
心から感動して全曲を聴き通すことができました。
晩年の朝比奈の最上レベルの演奏が聴ける、
お薦めの録音です。
個人的には、
5月10日の大阪公演(Disc 2)のほうが優れた演奏に聴こえますが、
エクストンから、
2008年12月に発売された全集のセット盤では、
5月3日の福岡公演(Disc 1)のほうが収録されています。
福岡公演も、充実した演奏ではあるので、
全国のいろいろな会場の録音を収録する方針があったのかもしれません。
大阪公演はもとの2枚組CDでしか聴くことはできないので、
細かな差異が気になる方は、
2枚組のほうも聴いてみることをお勧めします。
大阪フィルハーモニー交響楽団とともに収録された
ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(Ludwig van Beethoven, 1770年12月-1827年3月)
の交響曲全集から、第4番を聴きました。
朝比奈隆91歳の時(2000年5月3・10日)の録音です。
ベートーヴェン
Disc1
①交響曲第4番 変ロ長調 作品60
~2000年5月3日 アクロス福岡・シンフォニーホール
Disc2
②交響曲第4番 変ロ長調 作品60
~2000年5月10日 大阪、ザ・シンフォニーホール
大阪フィルハーモニー交響楽団
朝比奈隆(指揮)
【OVCL-00023】※2000年7月発売
交響曲第4番 変ロ長調 作品60 は、
第3番の初演(1804年12月)から2年余りをへた、
ベートーヴェン36歳の時(1807年3月)に初演された作品です。
ちなみに第5・6番が初演されたのは、
それから1年9ヶ月後(1808年12月)のことでした。
***
先に行われた〔Disc1〕福岡公演から、
完成度の高い充実した演奏が繰り広げられていますが、
福岡の一週間後に行われた〔Disc 2〕大阪公演は、
さらに隙のない完璧な仕上がりで、
指揮者の強い意志の伝わる熱い演奏に、
心から感動して全曲を聴き通すことができました。
晩年の朝比奈の最上レベルの演奏が聴ける、
お薦めの録音です。
個人的には、
5月10日の大阪公演(Disc 2)のほうが優れた演奏に聴こえますが、
エクストンから、
2008年12月に発売された全集のセット盤では、
5月3日の福岡公演(Disc 1)のほうが収録されています。
福岡公演も、充実した演奏ではあるので、
全国のいろいろな会場の録音を収録する方針があったのかもしれません。
大阪公演はもとの2枚組CDでしか聴くことはできないので、
細かな差異が気になる方は、
2枚組のほうも聴いてみることをお勧めします。
2018年10月14日日曜日
ヨッフム&シュターツカペレ・ドレスデンのブルックナー:交響曲第2番(1980年録音)
ドイツの指揮者
オイゲン・ヨッフム
(Eugen Jochum, 1902年11月1日-87年3月26日)
の指揮する
ドイツのザクセン州立歌劇場
(ゼンパー・オーパー, Semperoper)専属のオーケストラ
シュターツカペレ・ドレスデン
(Sächsische Staatskapelle Dresden)
の演奏で、
オーストリアの作曲家
アントン・ブルックナー
(Anton Bruchner, 1824年9月4日-96年10月11日)
の交響曲全集を聴き進めていますが、
CD2枚目は、
交響曲第2番ハ短調を聴きました。
指揮者ヨッフム77歳の時(1980年3月)の録音です。
Disc2
アントン・ブルックナー(1824-1896)
交響曲第2番ハ短調 WAB.102(1877年版)
シュターツカペレ・ドレスデン
オイゲン・ヨッフム(指揮)
録音:1980年3月4-7日、ドレスデン、ルカ教会
【Warner Classics 5099998458325】2013年9月発売
交響曲第2番ハ短調 は、
47歳の秋(1871年)に着手、
48歳の時(72年9月)に完成され、
49歳の時(73年10月)に初演されました。
この1872年9月に完成された楽譜を、
第1稿「1872年稿」と呼んでいます。
「1872年縞」は長らく未出版でしたが、
2005年にアメリカの音楽学者
ウィリアム・キャラガン(William Carragan, 1937- )
による校訂譜が出版されました。
キャラガンの研究自体は
1990年までにまとめられていたので、
1991年には「キャラガン版」として録音、紹介されていました。
完成の翌年に初演される際、
第1稿「1872年稿」そのままではなく、
すでに若干の改訂が行われていたことから、
この初演時(1873年10月)の版を「1873年稿」と呼ぶことがあります。
さらに、
初演の1年4ヶ月後に再演される際(1876年2月)、
より大きな改訂が行われました。
この1876年の再演にもとづく改訂稿を、
第2稿「1877年稿」と呼んでいます。
***
その後、
国際ブルックナー協会による校訂譜として、
1938年に出版されたハース版は、
「1877年稿」を基本としつつも、
適宜「1872年稿」の情報を織り込んだ楽譜となりました。
さらに、
1965年に出版されたノヴァーク版は、
ハース版から「1872年稿」の情報を削除する方針でしたが、
実際は、一部に「1872年稿」の情報を残したまま出版されました。
つまりノヴァーク版はハース版と同じく、
「1877年稿」を基本としつつも、
多少「1872年稿」の情報が残された楽譜となりました。
※以上、主に根岸一美(ねぎしかずみ)著『作曲家◎人と作品シリーズ ブルックナー』(音楽之友社、2006年6月)と、ノーヴァク著(大崎滋生訳)「序文」(ブルックナー作曲/ノーヴァク監修『OGT202 交響曲第二番ハ短調(1887年稿)』音楽之友社、1986年5月)を参照。
ただし実際、
ノヴァーク版を開いてみると、
指揮者の判断によって「1872年稿」の部分をカットし、
完全な「1877年稿」として演奏できるようになっています。
実際、ヨッフムはこのCDで、
ノヴァーク版から「1872年稿」の部分をのぞいて、
完全な「1877年稿」として演奏しています。
ただ「1877年稿」に従うと、
第4楽章に大幅なカットが生じてしまうので、
ノヴァーク版を用いていても、
カットなしのまま「1877(+72)年稿」の状態で
演奏されることのほうが多いようです。
***
ヨッフムの第2番、
長年の経験に裏づけられた共感度の高い演奏で、
すぐに耳になじんで最後まで聴き通すことができました。
今となっては珍しい、
終楽章に大幅なカットのある
「1877年稿」を忠実に再現した演奏です。
カットを悪とみて、
評価しない向きもあるかもしれませんが、
「1877年稿」本来の姿を知るのには有用な録音です。
本当にそれだけなの?と拍子抜けする感じで、
あっという間に終わってしまいますが、
ブルックナーの交響曲の終楽章には、
案外わかりにくいところがあるので、短く刈り込んである分、
飽きる間もなく聴き終えられるのは利点といえるかもしれません。
個人的には、第1番と同じく、
深遠な表情をみせる第2番の緩徐楽章が絶品で、
第7番や8番の緩徐楽章に比べて
あまり聴き慣れていないこともあって、
新鮮な感動のうちに聴き通すことができました。
オイゲン・ヨッフム
(Eugen Jochum, 1902年11月1日-87年3月26日)
の指揮する
ドイツのザクセン州立歌劇場
(ゼンパー・オーパー, Semperoper)専属のオーケストラ
シュターツカペレ・ドレスデン
(Sächsische Staatskapelle Dresden)
の演奏で、
オーストリアの作曲家
アントン・ブルックナー
(Anton Bruchner, 1824年9月4日-96年10月11日)
の交響曲全集を聴き進めていますが、
CD2枚目は、
交響曲第2番ハ短調を聴きました。
指揮者ヨッフム77歳の時(1980年3月)の録音です。
Disc2
アントン・ブルックナー(1824-1896)
交響曲第2番ハ短調 WAB.102(1877年版)
シュターツカペレ・ドレスデン
オイゲン・ヨッフム(指揮)
録音:1980年3月4-7日、ドレスデン、ルカ教会
【Warner Classics 5099998458325】2013年9月発売
交響曲第2番ハ短調 は、
47歳の秋(1871年)に着手、
48歳の時(72年9月)に完成され、
49歳の時(73年10月)に初演されました。
この1872年9月に完成された楽譜を、
第1稿「1872年稿」と呼んでいます。
「1872年縞」は長らく未出版でしたが、
2005年にアメリカの音楽学者
ウィリアム・キャラガン(William Carragan, 1937- )
による校訂譜が出版されました。
キャラガンの研究自体は
1990年までにまとめられていたので、
1991年には「キャラガン版」として録音、紹介されていました。
完成の翌年に初演される際、
第1稿「1872年稿」そのままではなく、
すでに若干の改訂が行われていたことから、
この初演時(1873年10月)の版を「1873年稿」と呼ぶことがあります。
さらに、
初演の1年4ヶ月後に再演される際(1876年2月)、
より大きな改訂が行われました。
この1876年の再演にもとづく改訂稿を、
第2稿「1877年稿」と呼んでいます。
***
その後、
国際ブルックナー協会による校訂譜として、
1938年に出版されたハース版は、
「1877年稿」を基本としつつも、
適宜「1872年稿」の情報を織り込んだ楽譜となりました。
さらに、
1965年に出版されたノヴァーク版は、
ハース版から「1872年稿」の情報を削除する方針でしたが、
実際は、一部に「1872年稿」の情報を残したまま出版されました。
つまりノヴァーク版はハース版と同じく、
「1877年稿」を基本としつつも、
多少「1872年稿」の情報が残された楽譜となりました。
※以上、主に根岸一美(ねぎしかずみ)著『作曲家◎人と作品シリーズ ブルックナー』(音楽之友社、2006年6月)と、ノーヴァク著(大崎滋生訳)「序文」(ブルックナー作曲/ノーヴァク監修『OGT202 交響曲第二番ハ短調(1887年稿)』音楽之友社、1986年5月)を参照。
ただし実際、
ノヴァーク版を開いてみると、
指揮者の判断によって「1872年稿」の部分をカットし、
完全な「1877年稿」として演奏できるようになっています。
実際、ヨッフムはこのCDで、
ノヴァーク版から「1872年稿」の部分をのぞいて、
完全な「1877年稿」として演奏しています。
ただ「1877年稿」に従うと、
第4楽章に大幅なカットが生じてしまうので、
ノヴァーク版を用いていても、
カットなしのまま「1877(+72)年稿」の状態で
演奏されることのほうが多いようです。
***
ヨッフムの第2番、
長年の経験に裏づけられた共感度の高い演奏で、
すぐに耳になじんで最後まで聴き通すことができました。
今となっては珍しい、
終楽章に大幅なカットのある
「1877年稿」を忠実に再現した演奏です。
カットを悪とみて、
評価しない向きもあるかもしれませんが、
「1877年稿」本来の姿を知るのには有用な録音です。
本当にそれだけなの?と拍子抜けする感じで、
あっという間に終わってしまいますが、
ブルックナーの交響曲の終楽章には、
案外わかりにくいところがあるので、短く刈り込んである分、
飽きる間もなく聴き終えられるのは利点といえるかもしれません。
個人的には、第1番と同じく、
深遠な表情をみせる第2番の緩徐楽章が絶品で、
第7番や8番の緩徐楽章に比べて
あまり聴き慣れていないこともあって、
新鮮な感動のうちに聴き通すことができました。
2018年10月7日日曜日
ノイマン&チェコ・フィルのドヴォルザーク:交響曲第2番(1987年録音)
チェコの指揮者
ヴァーツラフ・ノイマン
(Václav Neumann, 1920年9月29日-95年9月2日)
の指揮する
チェコのオーケストラ
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
の演奏で、
チェコの作曲家
アントニン・ドヴォルザーク
(Antonín Dvořák, 1841年9月8日-1904年5月1日)の
交響曲第2番 変ロ長調 作品4 を聴きました。
ドヴォルザーク
交響曲第2番 変ロ長調 作品4 B.12
ヴァーツラフ・ノイマン指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1987年10月1-2日、プラハ、ルドルフィヌム(芸術家の家)
【COCO-70880】2008年12月発売
ドヴォルザークが23歳の時に、
ドイツのコンクールに応募するために作曲され、
1865年3月24日に完成されたのが
交響曲第1番です。
第2番の作曲もすぐに取りかかり、
半年後の同年(1865)10月9日、
ドヴォルザーク24歳の時に完成しました。
第1番にも増して長大な作品であったため、
完成後間もなく、
第1・4楽章に大幅なカットを行うなど、
大幅な改訂が行われましたが、
しばらく演奏されることはありませんでした。
完成から20年余りをへた1887年5月に、
それまでに作曲された
第3番 変ホ長調
第4番 ニ短調
第5番 ヘ長調
とともに出版の機会を探るべく、
改めて校訂が行われましたが、
ヘ長調の交響曲以外は出版に至りませんでした。
その翌年(1888)3月11日、
さらに小規模のカットを施した上で、
ようやく(若いころに書かれた第1交響曲の紹介として)初演する機会を得ました。
楽譜は生前に出版されることはなく、
ドヴォルザークの没後55年をへた
1959年に初めて出版されました。
※主に藤田由之氏のCD解説を参照。
***
ノイマン指揮の
第1交響曲が思いのほか楽しめたので、
期待して第2番も聴いてみました。
すると残念ながら、
個々に美しいメロディは見出されるものの、
全体としてまとまりに乏しく、
途中で飽きが来て、最後まで聴き通すのは辛い内容でした。
第1番は拙いなりに非凡な才能を感じさせ、
それなりに聴き通せる作品に仕上がっていたのですが、
第2番は第1番から時間をあけずに作曲され、
良いものを出し尽くしていたからなのか、
色々工夫した挙げ句どうにも収拾がつかなかった、
まとまりの悪い作品であるように感じました。
ある程度聴きなじんでいた第1番に比べ、
第2番はまったく初めて聴いたので、
今後印象が変わる可能性もありますが、
最初の感想はこんな風になりました。
今後よりおもしろい演奏に出会えることを祈りつつ、
第3番に進みたいと思います。
ヴァーツラフ・ノイマン
(Václav Neumann, 1920年9月29日-95年9月2日)
の指揮する
チェコのオーケストラ
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
の演奏で、
チェコの作曲家
アントニン・ドヴォルザーク
(Antonín Dvořák, 1841年9月8日-1904年5月1日)の
交響曲第2番 変ロ長調 作品4 を聴きました。
ドヴォルザーク
交響曲第2番 変ロ長調 作品4 B.12
ヴァーツラフ・ノイマン指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1987年10月1-2日、プラハ、ルドルフィヌム(芸術家の家)
【COCO-70880】2008年12月発売
ドヴォルザークが23歳の時に、
ドイツのコンクールに応募するために作曲され、
1865年3月24日に完成されたのが
交響曲第1番です。
第2番の作曲もすぐに取りかかり、
半年後の同年(1865)10月9日、
ドヴォルザーク24歳の時に完成しました。
第1番にも増して長大な作品であったため、
完成後間もなく、
第1・4楽章に大幅なカットを行うなど、
大幅な改訂が行われましたが、
しばらく演奏されることはありませんでした。
完成から20年余りをへた1887年5月に、
それまでに作曲された
第3番 変ホ長調
第4番 ニ短調
第5番 ヘ長調
とともに出版の機会を探るべく、
改めて校訂が行われましたが、
ヘ長調の交響曲以外は出版に至りませんでした。
その翌年(1888)3月11日、
さらに小規模のカットを施した上で、
ようやく(若いころに書かれた第1交響曲の紹介として)初演する機会を得ました。
楽譜は生前に出版されることはなく、
ドヴォルザークの没後55年をへた
1959年に初めて出版されました。
※主に藤田由之氏のCD解説を参照。
***
ノイマン指揮の
第1交響曲が思いのほか楽しめたので、
期待して第2番も聴いてみました。
すると残念ながら、
個々に美しいメロディは見出されるものの、
全体としてまとまりに乏しく、
途中で飽きが来て、最後まで聴き通すのは辛い内容でした。
第1番は拙いなりに非凡な才能を感じさせ、
それなりに聴き通せる作品に仕上がっていたのですが、
第2番は第1番から時間をあけずに作曲され、
良いものを出し尽くしていたからなのか、
色々工夫した挙げ句どうにも収拾がつかなかった、
まとまりの悪い作品であるように感じました。
ある程度聴きなじんでいた第1番に比べ、
第2番はまったく初めて聴いたので、
今後印象が変わる可能性もありますが、
最初の感想はこんな風になりました。
今後よりおもしろい演奏に出会えることを祈りつつ、
第3番に進みたいと思います。
2018年9月25日火曜日
名古屋市美術館の「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」展
お盆明けの8月19日(日)と、
去る9月23日(日)に、
名古屋市中区栄にある名古屋市美術館まで、
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」
を観に行って来ました。
めったに同じ展覧会に2度足を運ぶことはありませんが、
今回のは特に満足度が高かったので、
最終日前にもう一度観に行きました。
名古屋会場は、
名古屋市美術館、中日新聞社、NHK名古屋放送局、NHKプラネット中部の主催で、
2018年7月28日(土)から9月24日(月)までの開催となっていました。
名古屋のほかは
東京会場
新国立美術館
〔2018年2月14日-5月7日〕
九州会場
九州国立博物館
〔2018年5月19日-7月16日〕
の2会場でも開催され、名古屋が最終会場となっていました。
図録の「ごあいさつ」には、
「ビュールレ・コレクションは、
スイスの実業家であるエミール・ゲオルク・ビュールレ
(Emil Georg Bührle, 1890-1956)によって収集されたもので、
印象派絵画を中心とした、約600点の西洋美術からなる
世界有数のプライベート・コレクションです。
(中略)
ビュールレの生前、
スイス・チューリヒの自宅などで飾られていた作品は、
彼の死後、遺族が設立した
E.G.ビュールレ・コレクション財団によって、
自宅別棟で公開されてきました。
しかし、
2008年の盗難事件で一般公開が規制され、
2015年に美術館が閉館となって以降、
コレクションの全貌を確認できる機会は失われてしまいました。
今回、
ビュールレ・コレクションの全体像を紹介する展覧会を、
日本で27年ぶりに開催する運びとなりました。
ビュールレが愛した
フランス印象派とポスト印象派絵画を中心に、
知名度が高く、美術史の観点からみても重要な作品を加え、
コレクションの精華64点をご紹介します。
そのうちおよそ半数が日本初公開作品となります。
なお、2020年にコレクションが
一括してチューリヒ美術館に移管されるため、
これだけの傑作をまとめて楽しむことができるのは、
おそらく日本では本展覧会が最後になるでしょう。」
等とありました(改行、下線はブログ編者による)。
全体の構成は、
第1章 肖像画
第2章 ヨーロッパの都市
第3章 19世紀のフランス
第4章 印象派の風景 ― マネ、モネ、ピサロ、シスレー
第5章 印象派の人物 ― ドガとルノワール
第6章 ポール・セザンヌ
第7章 フィンセント・ファン・ゴッホ
第8章 20世紀初頭のフランス絵画
第9章 モダン・アート
第10章 新たなる絵画の地平
となっていました。
***
エミール・ゲオルク・ビュールレ
(Emil Georg Bührle, 1890-1956)氏のコレクションといわれても
何もわからなかったのですが、
印象派の名品が見られるとのこと、
期待して観に行って来ました。
これが大正解。
個人のコレクションで、
これほどの名品ぞろいというのも記憶になく、
とても充実した時間を過ごすことができました。
今後の参考に、
個人的に心に残った絵画を整理しておきます。
第1章 肖像画
個人的に好きな画家シスレーの、
肖像画が見られたのは興味深かったです。
【図録6】
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
「アルフレッド・シスレーの肖像」
※1864年、油彩、カンヴァス
第3章 19世紀のフランス
風景画家と思っていた画家コローの、
人物画で良いものが見られました。
【図録14】
カミーユ・コロー(1796-1875)
「読書をする少女」
※1845-50年、油彩、カンヴァス
第4章 印象派の風景 ― マネ、モネ、ピサロ、シスレー
個人的に好きな画家シスレーの作品が2点。
ただしこれらは、彼のベストとはいえないように感じました。
【図録25】
アルフレッド・シスレー(1839-99)
「ハンプトン・コートのレガッタ」
※1874年、油彩、カンヴァス
【図録26】
アルフレッド・シスレー(1839-99)
「ブージヴァルの夏」
※1876年、油彩、カンヴァス
それ以上に強く印象に残ったのが、
マネとモネの風景画3点でした。
【図録27】☆☆☆
エドゥアール・マネ(1832-83)
「ベルヴュの庭の隅」
※1880年、油彩、カンヴァス
【図録28】☆☆
クロード・モネ(1840-1926)
「ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑」
※1879年頃、油彩、カンヴァス
【図録28】☆☆☆
クロード・モネ(1840-1926)
「ジヴェルニーのモネの庭」
※1895年頃、油彩、カンヴァス
印象派の絵をみる醍醐味ここにあり。
この3点を見られただけで、
今日足を運んだ価値がありました。
とくに【27】と【28】は絶美でした。
第5章 印象派の人物 ― ドガとルノワール
ルノワールの有名な1枚「可愛いエリーヌ」の
完璧な美しさに惹き込まれました。
【図録34】
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」
※1880年、油彩、カンヴァス
第7章 フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホは、狂気が作品ににじみ出ている所があって、
あまり好きな画家ではないのですが、
【48】の静物画はそれなりに心に残りました。
【図録48】
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)
「花咲くマロニエの枝」
※1890年、油彩、カンヴァス
第10章 新たなる絵画の地平
最後はモネの睡蓮1点のみの展示。
今年は何度もモネの「睡蓮」を見ていますが、
その中では一番大きな作品で、
縦2メートル、横4.25メートルもあって、
大変見応えがありました。
【図録64】
クロード・モネ(1840-1926)
「睡蓮の池、緑の反映」
※1920-26年、油彩、カンヴァス
これまで見てきた常識的なサイズの「睡蓮」は、
全体の構図に違和感を感じるものが多かったのですが、
これだけ大きいと、部屋をぐるっと
睡蓮の池が取り囲んでいるような感覚で、
初めて、モネが何を意図していたのかわかった気がしました。
モネの睡蓮を見る目が変わりました。
去る9月23日(日)に、
名古屋市中区栄にある名古屋市美術館まで、
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」
を観に行って来ました。
めったに同じ展覧会に2度足を運ぶことはありませんが、
今回のは特に満足度が高かったので、
最終日前にもう一度観に行きました。
名古屋会場は、
名古屋市美術館、中日新聞社、NHK名古屋放送局、NHKプラネット中部の主催で、
2018年7月28日(土)から9月24日(月)までの開催となっていました。
名古屋のほかは
東京会場
新国立美術館
〔2018年2月14日-5月7日〕
九州会場
九州国立博物館
〔2018年5月19日-7月16日〕
の2会場でも開催され、名古屋が最終会場となっていました。
図録の「ごあいさつ」には、
「ビュールレ・コレクションは、
スイスの実業家であるエミール・ゲオルク・ビュールレ
(Emil Georg Bührle, 1890-1956)によって収集されたもので、
印象派絵画を中心とした、約600点の西洋美術からなる
世界有数のプライベート・コレクションです。
(中略)
ビュールレの生前、
スイス・チューリヒの自宅などで飾られていた作品は、
彼の死後、遺族が設立した
E.G.ビュールレ・コレクション財団によって、
自宅別棟で公開されてきました。
しかし、
2008年の盗難事件で一般公開が規制され、
2015年に美術館が閉館となって以降、
コレクションの全貌を確認できる機会は失われてしまいました。
今回、
ビュールレ・コレクションの全体像を紹介する展覧会を、
日本で27年ぶりに開催する運びとなりました。
ビュールレが愛した
フランス印象派とポスト印象派絵画を中心に、
知名度が高く、美術史の観点からみても重要な作品を加え、
コレクションの精華64点をご紹介します。
そのうちおよそ半数が日本初公開作品となります。
なお、2020年にコレクションが
一括してチューリヒ美術館に移管されるため、
これだけの傑作をまとめて楽しむことができるのは、
おそらく日本では本展覧会が最後になるでしょう。」
等とありました(改行、下線はブログ編者による)。
全体の構成は、
第1章 肖像画
第2章 ヨーロッパの都市
第3章 19世紀のフランス
第4章 印象派の風景 ― マネ、モネ、ピサロ、シスレー
第5章 印象派の人物 ― ドガとルノワール
第6章 ポール・セザンヌ
第7章 フィンセント・ファン・ゴッホ
第8章 20世紀初頭のフランス絵画
第9章 モダン・アート
第10章 新たなる絵画の地平
となっていました。
***
エミール・ゲオルク・ビュールレ
(Emil Georg Bührle, 1890-1956)氏のコレクションといわれても
何もわからなかったのですが、
印象派の名品が見られるとのこと、
期待して観に行って来ました。
これが大正解。
個人のコレクションで、
これほどの名品ぞろいというのも記憶になく、
とても充実した時間を過ごすことができました。
今後の参考に、
個人的に心に残った絵画を整理しておきます。
第1章 肖像画
個人的に好きな画家シスレーの、
肖像画が見られたのは興味深かったです。
【図録6】
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
「アルフレッド・シスレーの肖像」
※1864年、油彩、カンヴァス
第3章 19世紀のフランス
風景画家と思っていた画家コローの、
人物画で良いものが見られました。
【図録14】
カミーユ・コロー(1796-1875)
「読書をする少女」
※1845-50年、油彩、カンヴァス
第4章 印象派の風景 ― マネ、モネ、ピサロ、シスレー
個人的に好きな画家シスレーの作品が2点。
ただしこれらは、彼のベストとはいえないように感じました。
【図録25】
アルフレッド・シスレー(1839-99)
「ハンプトン・コートのレガッタ」
※1874年、油彩、カンヴァス
【図録26】
アルフレッド・シスレー(1839-99)
「ブージヴァルの夏」
※1876年、油彩、カンヴァス
それ以上に強く印象に残ったのが、
マネとモネの風景画3点でした。
【図録27】☆☆☆
エドゥアール・マネ(1832-83)
「ベルヴュの庭の隅」
※1880年、油彩、カンヴァス
【図録28】☆☆
クロード・モネ(1840-1926)
「ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑」
※1879年頃、油彩、カンヴァス
【図録28】☆☆☆
クロード・モネ(1840-1926)
「ジヴェルニーのモネの庭」
※1895年頃、油彩、カンヴァス
印象派の絵をみる醍醐味ここにあり。
この3点を見られただけで、
今日足を運んだ価値がありました。
とくに【27】と【28】は絶美でした。
第5章 印象派の人物 ― ドガとルノワール
ルノワールの有名な1枚「可愛いエリーヌ」の
完璧な美しさに惹き込まれました。
【図録34】
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」
※1880年、油彩、カンヴァス
第7章 フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホは、狂気が作品ににじみ出ている所があって、
あまり好きな画家ではないのですが、
【48】の静物画はそれなりに心に残りました。
【図録48】
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90)
「花咲くマロニエの枝」
※1890年、油彩、カンヴァス
第10章 新たなる絵画の地平
最後はモネの睡蓮1点のみの展示。
今年は何度もモネの「睡蓮」を見ていますが、
その中では一番大きな作品で、
縦2メートル、横4.25メートルもあって、
大変見応えがありました。
【図録64】
クロード・モネ(1840-1926)
「睡蓮の池、緑の反映」
※1920-26年、油彩、カンヴァス
これまで見てきた常識的なサイズの「睡蓮」は、
全体の構図に違和感を感じるものが多かったのですが、
これだけ大きいと、部屋をぐるっと
睡蓮の池が取り囲んでいるような感覚で、
初めて、モネが何を意図していたのかわかった気がしました。
モネの睡蓮を見る目が変わりました。
2018年9月16日日曜日
ノイマン&チェコ・フィルのドヴォルザーク:交響曲第1番(1987年録音)
チェコの指揮者
ヴァーツラフ・ノイマン
(Václav Neumann, 1920年9月29日-95年9月2日)
の指揮する
チェコのオーケストラ
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
の演奏で、
チェコの作曲家
アントニン・ドヴォルザーク
(Antonín Dvořák, 1841年9月8日-1904年5月1日)の
交響曲第1番《ズロニツェの鐘》を聴きました。
ドヴォルザーク
交響曲第1番ハ短調 B.9《ズロニツェの鐘》
ヴァーツラフ・ノイマン指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1987年6月15-17日、プラハ、ルドルフィヌム(芸術家の家)
【COCO-70880】2007年12月発売
交響曲第1番は、
ドヴォルザークが23歳の時(1865)に、
ドイツのコンクールに応募するために作曲され、
1865年3月24日に完成されました。
しかしコンクールに入賞せず、
総譜も返却されなかったため、
長らく紛失したと考えられていました。
完成から17年をへた1882年、
プラハの学生ルドルフ・ドヴォルザークが、
ライプツィヒの古書店で偶然、総譜を発見し、
同姓という興味から購入していたのですが、
作曲者とは何の血縁関係もなかったことから、
作曲者ドヴォルザークが知るよしもなく、
総譜はそのままルドルフのもとに留め置かれました。
作曲者ドヴォルザークは、
総譜の存在を知らぬまま1904年に亡くなりましたが、
発見者ルドルフも、
総譜を放置したまま1920年に亡くなりました。
放置された総譜は、
発見者の息子ルドルフ(父と同名)が、
改めて父の遺品の中から発見し、
1923年にこれを世に紹介することによって、
初めて存在が明らかになりました。
初演は1936年10月4日に行われましたが、
息子ルドルフの同意が得られなかったことから、
出版は見送られました。
ルドルフが亡くなった後、1960年5月に、
未亡人のヴィレーミナ・ドヴォルザーク夫人が、
総譜をアントニン・ドヴォルザーク協会に献呈したことで、
ようやく出版が許諾され、
1961年に初めて総譜が出版されました(アルティア版)。
※以上、おもにCD添付の藤田由之氏による解説を参照。
***
今春インターネット上で、
「スウィトナー&シュターツカペレ・ドレスデン」
のドヴォルザークを試聴し(各曲30秒ほど)、
オケの充実した響きに魅了され、
初期の交響曲のCDを買ってみました。
しかしいざ聴いてみると、
出だしの飛び切り美しい響きにうっとりするものの、
全体に似たような曲調が続いてメリハリに乏しく、
聴き通すのがつらくなりました。
作品自体が弱いようにも感じましたが、
一度は本場のコンビで聴いておこうと、
ノイマン&チェコ・フィルのCDを聴いてみたところ、
これが大正解。
特別なことをしている風ではないのですが、
作曲者の意図をくんで、ごく自然に、
楽譜の弱さを補う演奏ができているようで、
どこもかしこも美しく響いて、
飽きる間もなく、感動のうちに聴き終えることができました。
演奏の仕方によっては、
構成面での弱さを感じさせることなく、
魅力に溢れたメロディの連続を楽しませてくれる
優れた作品であることがわかりました。
スウィトナーとはまるで違う曲を聴いているようでした。
まだそこれほど色々聴いたわけではないのですが、
ノイマン&チェコ・フィルの演奏を基準に、
ほかにも聴いてみたいと思いました。
ヴァーツラフ・ノイマン
(Václav Neumann, 1920年9月29日-95年9月2日)
の指揮する
チェコのオーケストラ
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
の演奏で、
チェコの作曲家
アントニン・ドヴォルザーク
(Antonín Dvořák, 1841年9月8日-1904年5月1日)の
交響曲第1番《ズロニツェの鐘》を聴きました。
ドヴォルザーク
交響曲第1番ハ短調 B.9《ズロニツェの鐘》
ヴァーツラフ・ノイマン指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1987年6月15-17日、プラハ、ルドルフィヌム(芸術家の家)
【COCO-70880】2007年12月発売
交響曲第1番は、
ドヴォルザークが23歳の時(1865)に、
ドイツのコンクールに応募するために作曲され、
1865年3月24日に完成されました。
しかしコンクールに入賞せず、
総譜も返却されなかったため、
長らく紛失したと考えられていました。
完成から17年をへた1882年、
プラハの学生ルドルフ・ドヴォルザークが、
ライプツィヒの古書店で偶然、総譜を発見し、
同姓という興味から購入していたのですが、
作曲者とは何の血縁関係もなかったことから、
作曲者ドヴォルザークが知るよしもなく、
総譜はそのままルドルフのもとに留め置かれました。
作曲者ドヴォルザークは、
総譜の存在を知らぬまま1904年に亡くなりましたが、
発見者ルドルフも、
総譜を放置したまま1920年に亡くなりました。
放置された総譜は、
発見者の息子ルドルフ(父と同名)が、
改めて父の遺品の中から発見し、
1923年にこれを世に紹介することによって、
初めて存在が明らかになりました。
初演は1936年10月4日に行われましたが、
息子ルドルフの同意が得られなかったことから、
出版は見送られました。
ルドルフが亡くなった後、1960年5月に、
未亡人のヴィレーミナ・ドヴォルザーク夫人が、
総譜をアントニン・ドヴォルザーク協会に献呈したことで、
ようやく出版が許諾され、
1961年に初めて総譜が出版されました(アルティア版)。
※以上、おもにCD添付の藤田由之氏による解説を参照。
***
今春インターネット上で、
「スウィトナー&シュターツカペレ・ドレスデン」
のドヴォルザークを試聴し(各曲30秒ほど)、
オケの充実した響きに魅了され、
初期の交響曲のCDを買ってみました。
しかしいざ聴いてみると、
出だしの飛び切り美しい響きにうっとりするものの、
全体に似たような曲調が続いてメリハリに乏しく、
聴き通すのがつらくなりました。
作品自体が弱いようにも感じましたが、
一度は本場のコンビで聴いておこうと、
ノイマン&チェコ・フィルのCDを聴いてみたところ、
これが大正解。
特別なことをしている風ではないのですが、
作曲者の意図をくんで、ごく自然に、
楽譜の弱さを補う演奏ができているようで、
どこもかしこも美しく響いて、
飽きる間もなく、感動のうちに聴き終えることができました。
演奏の仕方によっては、
構成面での弱さを感じさせることなく、
魅力に溢れたメロディの連続を楽しませてくれる
優れた作品であることがわかりました。
スウィトナーとはまるで違う曲を聴いているようでした。
まだそこれほど色々聴いたわけではないのですが、
ノイマン&チェコ・フィルの演奏を基準に、
ほかにも聴いてみたいと思いました。
2018年9月2日日曜日
ヨッフム&シュターツカペレ・ドレスデンのブルックナー:交響曲第1番(1978年録音)
ドイツの指揮者
オイゲン・ヨッフム
(Eugen Jochum, 1902年11月1日-87年3月26日)
の指揮する
ドイツのザクセン州立歌劇場
(ゼンパー・オーパー, Semperoper)専属のオーケストラ
シュターツカペレ・ドレスデン
(Sächsische Staatskapelle Dresden)
の演奏で、
オーストリアの作曲家
アントン・ブルックナー
(Anton Bruchner, 1824年9月4日-96年10月11日)
の交響曲全集を聴いていきます。
まずはCD1枚目は、
交響曲第1番ハ短調を聴きました。
指揮者ヨッフム76歳の時(1978年12月)の録音です。
Disc1
アントン・ブルックナー(1824-1896)
交響曲第1番ヘ短調 WAB.101(リンツ稿/ノヴァーク版)
シュターツカペレ・ドレスデン
オイゲン・ヨッフム(指揮)
録音:1978年12月11-15日、ドレスデン、ルカ教会
【Warner Classics 5099998458325】2013年9月発売
交響曲第1番 ヘ短調 は、
ブルックナーが
41歳の時(1865)に着手、
42歳の時(1866)に完成し、
44歳の時(1868)に初演されました。
この第1稿を「リンツ稿」と呼んでいます。
その後1877年と84年に細部の改訂が行われたので、
1935年に出版された
ハース校訂の「リンツ稿」(第1稿)では、
1877年の改訂を含めた状態で出版されました。
第1稿の初演から22年をへた
66歳の時(1890)に全面改訂が行われ、
翌91年に改訂稿の初演が行われました。
この第2稿を「ウィーン稿」と呼んでいます。
改訂稿の初演から2年後(1893)、
「ウィーン稿」(第2稿)に基づく「初版」が出版されました。
ブルックナーはこの3年後、
72歳の時(1896)に亡くなりますが、
1935年にハース校訂の「リンツ稿」が出版されるまで、
40年余り、第1番の出版譜は「ウィーン稿」しか存在しませんでした。
本格的な校訂譜としては、1935年に、
ハース校訂による「ウィーン稿」と「リンツ稿」が出版され、
その後、
1953年にノヴァーク校訂による「リンツ稿」が、
1979年にノヴァーク校訂による「ウィーン稿」が
それぞれ出版されました。
ノヴァーク版の「ウィーン稿」は、
実際の校訂者名をとって「ブロッシェ版」と呼ばれることもあるそうです。
1976年録音のこのCDは、
1953年に出版されたノヴァーク校訂による
「リンツ稿」が用いられていることになります。
※根岸一美『作曲家◎人と作品 ブルックナー』(音楽之友社、2006年6月)と、Wikipediaの「交響曲第1番(ブルックナー)」の項を参照。
***
昔は高価で手を出せなかった
ヨッフムさんの指揮する
ブルックナーの交響曲全集が、
CD1枚分の値段で手に入ったので、
この機会に聴き直してみることにしました。
ヨッフムさんの指揮する
シュターツカペレ・ドレスデンによるブル1、
緻密に計算されたというよりは、
音楽の自然な流れを大切にした共感度の高い演奏で
素朴な美しさに満ちていて、
心から楽しんで聴き進めることができました。
深い祈りの込められた
第2楽章 Adagio が出色ですが、
ブルックナー最初の交響曲として、
全体的にバランスよくまとまった
完成度の高い作品であることを確かめられました。
シュターツカペレ・ドレスデンの音は、
最新のオーケストラの録音に比べれば、
それほど洗練されているわけではないのですが、
ブルックナーに向いているというか、
程良い荒々しさで心に響いてきて、
十分に満足できました。
聴いてすぐにうっとりするかはわかりませんが、
少し聴き込めば、ブルックナーの良さがとても伝わりやすい演奏だと思いました。
オイゲン・ヨッフム
(Eugen Jochum, 1902年11月1日-87年3月26日)
の指揮する
ドイツのザクセン州立歌劇場
(ゼンパー・オーパー, Semperoper)専属のオーケストラ
シュターツカペレ・ドレスデン
(Sächsische Staatskapelle Dresden)
の演奏で、
オーストリアの作曲家
アントン・ブルックナー
(Anton Bruchner, 1824年9月4日-96年10月11日)
の交響曲全集を聴いていきます。
まずはCD1枚目は、
交響曲第1番ハ短調を聴きました。
指揮者ヨッフム76歳の時(1978年12月)の録音です。
Disc1
アントン・ブルックナー(1824-1896)
交響曲第1番ヘ短調 WAB.101(リンツ稿/ノヴァーク版)
シュターツカペレ・ドレスデン
オイゲン・ヨッフム(指揮)
録音:1978年12月11-15日、ドレスデン、ルカ教会
【Warner Classics 5099998458325】2013年9月発売
交響曲第1番 ヘ短調 は、
ブルックナーが
41歳の時(1865)に着手、
42歳の時(1866)に完成し、
44歳の時(1868)に初演されました。
この第1稿を「リンツ稿」と呼んでいます。
その後1877年と84年に細部の改訂が行われたので、
1935年に出版された
ハース校訂の「リンツ稿」(第1稿)では、
1877年の改訂を含めた状態で出版されました。
第1稿の初演から22年をへた
66歳の時(1890)に全面改訂が行われ、
翌91年に改訂稿の初演が行われました。
この第2稿を「ウィーン稿」と呼んでいます。
改訂稿の初演から2年後(1893)、
「ウィーン稿」(第2稿)に基づく「初版」が出版されました。
ブルックナーはこの3年後、
72歳の時(1896)に亡くなりますが、
1935年にハース校訂の「リンツ稿」が出版されるまで、
40年余り、第1番の出版譜は「ウィーン稿」しか存在しませんでした。
本格的な校訂譜としては、1935年に、
ハース校訂による「ウィーン稿」と「リンツ稿」が出版され、
その後、
1953年にノヴァーク校訂による「リンツ稿」が、
1979年にノヴァーク校訂による「ウィーン稿」が
それぞれ出版されました。
ノヴァーク版の「ウィーン稿」は、
実際の校訂者名をとって「ブロッシェ版」と呼ばれることもあるそうです。
1976年録音のこのCDは、
1953年に出版されたノヴァーク校訂による
「リンツ稿」が用いられていることになります。
※根岸一美『作曲家◎人と作品 ブルックナー』(音楽之友社、2006年6月)と、Wikipediaの「交響曲第1番(ブルックナー)」の項を参照。
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昔は高価で手を出せなかった
ヨッフムさんの指揮する
ブルックナーの交響曲全集が、
CD1枚分の値段で手に入ったので、
この機会に聴き直してみることにしました。
ヨッフムさんの指揮する
シュターツカペレ・ドレスデンによるブル1、
緻密に計算されたというよりは、
音楽の自然な流れを大切にした共感度の高い演奏で
素朴な美しさに満ちていて、
心から楽しんで聴き進めることができました。
深い祈りの込められた
第2楽章 Adagio が出色ですが、
ブルックナー最初の交響曲として、
全体的にバランスよくまとまった
完成度の高い作品であることを確かめられました。
シュターツカペレ・ドレスデンの音は、
最新のオーケストラの録音に比べれば、
それほど洗練されているわけではないのですが、
ブルックナーに向いているというか、
程良い荒々しさで心に響いてきて、
十分に満足できました。
聴いてすぐにうっとりするかはわかりませんが、
少し聴き込めば、ブルックナーの良さがとても伝わりやすい演奏だと思いました。
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