2016年12月26日月曜日

ケンプ&ケンペンのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(1953年録音)

ドイツのピアニスト
ヴィルヘルム・ケンプ
(Wilhelm Kempff, 1895.11-1991.5)の独奏、

オランダ出身のドイツの指揮者
パウル・ファン・ケンペン
(1893.5-1955.12)の指揮する

ドイツのオーケストラ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(Berliner Philharmoniker)の伴奏で、

ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(Ludwig van Beethoven, 1770.12-1827.3)の
ピアノ協奏曲第4番を聴きました。

ケンプ57歳の時(1953.5)に録音されました

※Wikipediaの「ヴィルヘルム・ケンプ」「パウル・ファン・ケンペン」「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照。


ヴィルヘルム・ケンプ名演集
CD6
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58
 パウル・ヴァン・ケンペン(指揮)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音:1953年5月、ベルリン、イエス・キリスト教会

ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 作品57《熱情》
 録音:1951年
【Membran 10CD Collection 233479】


しばらく空きましたが、
ケンプさんの最初のベートーヴェン、
ピアノ協奏曲全集から第4番を聴きました。

自分がピアノを弾かないからか、
第3・4番はそれほど聴き込んでいないので、
他の録音をあまり知りません。

他にもたくさん名演はあるのでしょうが、

ベルリン・フィルの
分厚く勢いのある音に引けを取らない、
ケンプのピアノの端正な美しい音色に、
最後まで見通しよく聴き薦めることができました。

幻想的なところのある曲ですが、
あまり崩し過ぎないで、曲そのもので勝負しているのが好印象でした。

私には十分満足できるレベルの演奏でした。

メンブランの復刻は音質が今一つなことが多いのですが、
これはどれも程々な満足できる音で聴こえています。

しかし廉価版じゃなかったら、
さらに良い音で聴けるのかもしれません。

今後機会があれば書い直しも考えます。


《熱情》も協奏曲と同じく、
没入型ではない、曲から少し距離を置いたスタイルで、
古典的な形のなかで存分にやれることをやり尽くした感じの演奏です。

1回聴くだけだと多少物足りなく思うかもしれませんが、
何をしているのかよくわかるので、繰り返し聴くのにぴったりだと思いました。

普通に聴いて、
十分に満足できる名演だと思います。

2016年12月19日月曜日

メンゲルベルク&アムステルダム・コンセルトヘボウ管のバッハ:マタイ受難曲(1939年録音)

オランダの指揮者
ウィレム・メンゲルベルク
(Willem Mengelberg, 1871年3月-1951年3月)の指揮する

オランダのオーケストラ
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で、

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
(Johann Sebastian Bach, 1685年3月-1750年7月)の
マタイ受難曲(Matthäus-Passion)を聴きました。

メンゲルベルク68歳の時(1939年4月)の録音です


J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244

 カール・エルプ(福音史家 テナー)
 ウィレム・ラヴェリ(イエス バス)
 ジョー・ウィンセント(ソプラノ)
 イローナ・ドゥリゴ(アルト)
 ルイス・ヴァン・ドゥルダー(テナー)
 ヘルマン・シャイ(バス)

ツァングルスト少年合唱団
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ウィレム・メンゲルベルク(指揮)

録音:1939年4月2日ライブ
原盤:Philips LP A00150-53
【OPK 7021-3】※発売2006年4月

マタイ受難曲は、バッハ42歳の時に
作曲、初演(1727年4月)されたと推定される作品です

※確かな演奏記録にもとづいて、
 44歳の時(1729年4月)の初演説もあり。
※最終稿は51歳の頃(1736年)に完成。


  ***

この録音の存在は、学生の頃に
宇野功芳氏の著書で知りました。

なかなか購入する機会がなく、
2006年発売のオーパス蔵盤が、
初体験となりました。

実際に聴いてみると、
今から80年近く前の録音なので当然なのですが、
予想以上に音が悪く、

近年ではありえない
叫ぶような合唱の発声法にもびっくりして、
聴くのを止めてしまいました。

時折思い出して、
聴いてみては失望することの繰り返しだったのですが、

最近になって、
古い録音に合ったほどほどの再生方法を見つけ、
ようやく感動のうちに最後まで聴き通すことができました。

歌舞伎で大見得を切るような、
オーバーアクションを楽しむ感覚で、
聴き方のツボのようなものはわかったように思います。

やはり今となっては
かなり時代がかった解釈であることは確かなので、
最初の1枚目としてはお薦めできませんが、

曲の真髄をわしづかみにした
歴史的録音として、聴いておく価値は十分にあると思いました。

2016年12月12日月曜日

バーンスタイン&ニューヨーク・フィルのマーラー:交響曲第5番(1963年録音)

アメリカ合衆国の指揮者
レナード・バーンスタイン(1918.8-1990.10)が、
ニューヨーク・フィルを指揮して録音した

オーストリア帝国の作曲家
グスタフ・マーラー(1860.7-1911.5)の
交響曲第5番嬰ハ短調を聴きました。

指揮者44歳の時(1963年1月)の録音です


CD7
マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調

 ジェイムズ・チェンバース(ホルン)
 レナード・バーンスタイン(指揮)
 ニューヨーク・フィルハーモニック
 録音:1963年1月7日、ニューヨーク、フィルハーモニー・ホール(現エイヴリー・フィッシャー・ホール)
【Sony Classical 88697943332】2012年6月発売。

交響曲第5番嬰ハ短調は、
マーラー44歳の時(1904年10月)に初演された作品です


先月バーンスタインが69歳の時に、
ウィーン・フィルと録音したマラ5を聴き直し、

指揮者の熱意が空回りする
恣意的な表現に辟易したのですが、

若い頃のニューヨーク・フィルとの
マラ5ならどうだろうと思い、聴いてみることにしました。

その結果、
旧盤の方は音楽的な流れをぶった切ることのない、
ごく自然な表現で、まずまず聴ける演奏に仕上がっていました。

ただし若さゆえか、
今一つ解釈に物足りないところがあって、
ほかを圧倒する何かがあるわけではない、
ふつうのマラ5であると思いました。

初めて聴く分には、
十分満足のいくレベルの演奏ですが、
ぜひともこの録音でなければ、という強い個性には欠ける演奏でした。

大好きなはずのバーンスタインのマーラーですが、
改めて聴いてみると、超名演と隣り合わせに、
そこまででない演奏もたくさん含まれていることに気がつくことが多いです。

2016年12月1日木曜日

新垣隆:交響曲《連祷-Litany-》&ピアノ協奏曲《新生》

佐村河内守:交響曲第1番《HIROSHIMA》の
作曲者として世に知られるようになった

新垣隆(1970.9- )氏の新作交響曲のCDを聴きました。


新垣隆
①交響曲《連祷(れんとう)》―Litany―
②ピアノ協奏曲《新生》
③流るる翠碧(すいへき)

新垣隆(①指揮、②③ピアノ)
中村匡宏(②③指揮)
東京室内管弦楽団
録音:2016年9月15日、福島市音楽堂
【UCCD-1443】2016年11月発売


偽作騒動が明らかになる前に、
新人作曲家による話題の交響曲とあれば
一度は聴いておこうと思って《HIROSHIMA》のCDを購入し、
感想をこのブログにアップしていました(2011年8月3日)。

その時の感想を要約すると、

全体の印象としては、救いのあるショスタコービッチ。 時にチャイコフスキーやラフマニノフを思わせる美しい場面もあって、 わかりにくい音楽ではありませんでした。

ただし曲全体の構成には問題があって、3楽章ともゆっくり始まってゆっくり終わる音楽なので、CDでは途中で飽きが来てしまいました。

私の好みからいえば、3楽章のみであれば普通に名曲だと思いました。

  ***

旧作は全体として、
暗く重々しい雰囲気がつづく作品で、
良いところもたくさんあるものの、
あまり聴き返したいとは思いませんでした。

ただし、とにかく長大な交響曲を
感動的にまとめ上げた力量には感心し、
次回作に期待したいと思っていました。

ところがその後、
本来の作曲者 新垣隆氏の存在が明らかになるとともに、
曲の存在自体が葬り去られる顛末となりましたので、
次回作を聴く機会はもうなくなったのかと残念に思っていました。

ここから後の経緯はよく知らないので割愛。

今回改めて、
新垣氏本人の意志によって書き上げた
新作の交響曲にピアノ協奏曲まで聴けるということで、
ぜひ聴いてみたいと思って購入しました。


  ***

発売から2週間ほどの間に、
4、5回聴き通してみた上での感想です。

オケの色合いはやはり前作と似ていて、
交響曲《HIROSHIMA》が新垣氏の作品であることを再確認できました。

しかし長大さにうんざりした前作に対して、
新作では、聴き手を惹きつける聴かせどころのツボをよく心得ていて、
全曲を飽きずに聴き通すことができました。

聴衆をほどよく飽きさせずに全曲をまとめ上げる手腕が、
格段と上手くなっているように感じました。

それでも真面目な人柄を反映しているのか、
全体的に暗めの重々しい雰囲気なので、
個人的にあまり好きな曲調ではないのですが、

前作ほど極端に暗さを押しつけてくるわけではなく、
美しいメロディも程よいバランスで織り交ぜてあるので、
全体を一つのよくできた交響曲として、
感動的に聴き終えることができました。

個人的には、
交響曲なら4楽章だろうという思いもあるので、
もう少し明るい希望的な要素を増やした
4楽章編成の第3交響曲をぜひ書いてほしいです。


新作のピアノ協奏曲のほうは、
プロコフィエフやバルトークをまぜこぜにしたような、
ハードボイルドな感じの作品。

ショパンやラフマニノフなどの
美しいメロディに期待すると肩透かしにありますが、
新垣氏のどちらかといえば現代音楽よりの側面を
垣間見れるように思いました。

個人的にはあまり好きな作品でないのですが、
最初の協奏曲としては十分な出来だと思うので、
こちらも次回作のほうに期待したいです。

2016年11月21日月曜日

バーンスタイン&ウィーン・フィルのマーラー:交響曲第5番(1987年録音)

アメリカ合衆国の指揮者
レナード・バーンスタイン(1918.8-1990.10)が、
ウィーン・フィルを指揮して録音した

オーストリア帝国の作曲家
グスタフ・マーラー(1860.7-1911.5)の
交響曲第5番嬰ハ短調を聴きました。

指揮者69歳の時(1987年9月)の録音です


CD2
マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調

 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 レナード・バーンスタイン(指揮)
 録音:1987年9月、フランクフルト、アルテ・オーパー
【UCCG-3767/8】2005年3月発売

交響曲第5番嬰ハ短調は、
マーラー44歳の時(1904年10月)に初演された作品です


山田一雄&N響のマラ5を聴いて、
しばらく忘れていたマーラー熱に火が着きました。

ヤマカズさんとN響の名演、
昔聴いたバーンスタイン&ウィーン・フィルに似ていたような気がして、
CDの棚から探し出して聴いてみました。

すると記憶していたのよりも、
指揮者の強い思いが空回りしている印象で、

無理やりオケを動かそうとして、
音楽の自然な流れが阻害される場面が目立ち、
最後まで聴き通すのがつらいレベルの演奏でした。

バーンスタイン&ウィーン・フィルのマラ5は、
超名演という評価を得ているはずなので、
リマスターによって印象が変わる可能性もありますが、

今回聴いたCDについていえば、
指揮者の気持ちのみが空回りして、
オケがそこまで共鳴している風でもないので、
お世辞にも名演とは言えないように感じました。

かつてはマーラーといえば
バーンスタインだと思い込んでいたのですが、
最近改めて聴き直してみると、
音楽の自然な流れを無視した強引な演奏も多く、
すべてを名演というわけにはいかないと思いました。

2016年11月14日月曜日

山田一雄&N響のモーツァルト:交響曲第38番&第41番(1985年&91年)

山田一雄(1912年10月-1991年8月)の指揮する
NHK交響楽団の演奏で、

オーストリアの作曲家
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756年1月-1791年12月)の
交響曲第38番と第41番を聴きました。

指揮者72歳と78歳の時(1985年2月&1990年11月)のライブ録音です



N響創立90周年シリーズ
Disc2
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
①交響曲第38番ニ長調K.504《プラハ》
②交響曲第41番ハ長調K.551《ジュピター》

山田一雄(指揮)
NHK交響楽団
録音:1985年2月13日(①)、1991年11月26日
【KKC2104/05】2016年10月発売

交響曲第38番《プラハ》は、
モーツァルトが30歳の時、1786年12月に完成

交響曲第41番《ジュピター》は、
32歳の時、1788年8月に完成されました


《プラハ》は今回初めて聴きました。
先月取り上げたマラ5と同じ日の演奏です。

マラ5と同じ編成で演奏したのではないかと思われる
分厚い弦の響きが印象的でした。

そのこと自体は悪くないのですが、
全体的におっとりのんびりした感じのあまり特徴のない演奏で、
さほど感銘は受けませんでした。

マラ5のほうに集中して、
リハーサルの時間が取れなかったのかもしれません。


名演は《ジュピター》のほうで、
テレビで何度も放映されたのをビデオ録画して、
テープが劣化するまで繰り返し観た記憶があります。

昔の記憶と比べると、弦が多少うすく聴こえ、
細部のつめの甘さが気になるところもあるのですが、

全体として《ジュピター》はこうでなければ!
と思わせられる理想的な名演で、

透明だけれども強い生命力にあふれた
モーツァルトの特別な音楽を満喫することが出来ました。

若い頃の刷り込みがあるので、
その点差し引いていただいて結構ですが、
個人的には《ジュピター》で、
これを超える演奏にはまだ出会えていません。

《ジュピター》を演奏した日には、
他にもモーツァルトの作品ばかり取り上げているはずなので、
そちらの演奏のみをCDでまとめても良かったように思いました。

2016年11月7日月曜日

松坂屋美術館の「平木コレクション 生誕220年 歌川広重の世界―保永堂版東海道五十三次と江戸の四季―」展

去る11月2日(水)、
秋休みの最終日に、
中区栄の松坂屋美術館まで、

「平木コレクション 生誕220年
 歌川広重の世界
 ―保永堂版東海道五十三次と江戸の四季―」展

を観に行ってきました。

 ※日程 2016年10月22日(土)~11月20日(日)
 ※主催 松坂屋美術館、日本経済新聞社、テレビ愛知、
     公益財団法人平木浮世絵財団
 ※企画協力 株式会社アートワン

歌川広重(1797-1858)の代表作
『東海道五十三次』をまとめて観る機会はこれまでなく、
しかも初摺(保永堂版)で観られるとのこと、
楽しみにしていたのですが、

これまで観てきた浮世絵の展示の中で、
一番といってよいレベルの質の高い作品がたくさん並んでいて、
非常に充実した時間を送ることができました。

ここ数年訪れてきた展示の中では、
疑いなくベストの内容でした。


  ***

歌川広重について、
最初に意識するようになったのは、

学生の時に、
田中英道著『日本美術全史』(講談社、1995年6月)を読んでからのことです。

「浮世絵の最後の名匠は
 一七九七年(寛政九年)生まれの
 歌川広重である。

 彼はすでに「明治維新」まで十年足らずの
 一八五八年(安政五年)に亡くなっているから、
 江戸時代の最後の画家と言うべき人物と言える。

 彼は北斎の世界の風景画のジャンルを、
 平明にしたといってもよいが、
 そこにさらにポエジー(詩情)を加えて、
 人気を博したといえるであろう。」

「一八三二年(天保三年)、
 広重は幕府の一行に随行して東海道を歩き、
 変化に富む沿道の様子をつぶさに見ることが出来た。

 そしてその実見をもとに一八三三年、
 保永堂版『東海道五拾三次』を出版した。

 彼が一幽斎より一立斎に名を改めたのも、
 これによって立とうとする心の表れかもしれない。

 これは広重が、
 北斎と異なった表現力を示した
 最初の傑作と呼べるものであろう。」

(以上、田中『日本美術史』344・348頁。改行はブログ編者による)

今回、実物を観てみると、
ハッとさせられる斬新な構図にまず目を奪われました。

風景画の構図からして
有無をいわせぬ説得力があるのは、
広重意外にあまり思い浮かびません。

斬新さは時に奇抜さのみを追い求める方向へ傾きがちですが、
広重の作品からはそうしたグロテスクな要素は感じません。

誰にでも受け入れられやすい平明さと、
すっきりとした清明な青色が印象に残りました。

観えるものをそのまま描く
西洋の印象派の風景画とは随分違いますが、

風景画家としての広重の存在は、
自分のなかでいっそう大きくなって来ました。


  ***

今回、展示された作品数が多すぎ、
観ているうちにお腹いっぱいになって、
自分にとって特別な作品を選ぶことは出来ませんでした。

展示期間中に、
ぜひもう一度来ようと思っていたのですが、
仕事が忙しく再訪はかないませんでした。

データ満載の図録は手元にあるので、
次の機会までくりかえし観返したいと思います。

2016年10月31日月曜日

山田一雄&N響のマーラー:交響曲第5番(1985年録音)

山田一雄(1912年10月-1991年8月)の指揮する
NHK交響楽団の演奏で、

オーストリアの作曲家
グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860年7月-1911年5月)の
交響曲第5番を聴きました。

指揮者72歳の時(1985年2月)のライブ録音です


N響創立90周年シリーズ
Disc1
グスタフ・マーラー
交響曲第5番嬰ハ短調

山田一雄(指揮)
NHK交響楽団
録音:1985年2月13日
【KKC2104/05】2016年10月発売
 ※Disc2収録のモーツァルトは後日取り上げます。

交響曲第5番嬰ハ短調は、
マーラーが44歳の時(1904年10月)に初演された曲です。

マーラーで最初に聴き込んだのが、
この第5番でした。

聴き込みすぎたからか、
最近はあまり聴く気が起きなくなっていたのですが、

久しぶりに昔懐かしい
山田一雄の指揮するN響のマラ5を聴いて、
感動を新たにしました。

山田一雄氏のライブCDは、
期待いっぱいに聴いてがっかりする演奏も多いのですが、
これは成功といって良いと思います。

若干遅めのテンポで、
楽想を深くえぐりぬいて行くスタイルなので、
映像で観ると間がもたないようにも思われたのですが、

CDではほどほどな印象で、
始まりが「葬送行進曲」であることを思えば、
適切なテンポ設定に感じました。

小じんまりとはまとまらず、
自身が作曲したかのように内面に入り込み、
マーラーと一心同体になって進んでいくスタイルは、
バーンスタイン&ウィーン・フィルの演奏を思い出しました。

ただし改めて、
そちらのCDも聴き直してみたところ、

バーンスタインのほうが遥かに示威的な、
無理矢理にオケを引きずり回した感のある強引な演奏で、
あまり好きにはなれませんでした。

恐らく向いている方向は同じなのですが、
より音楽的に、穏当な表現で全体をまとめ上げたのが、
山田一雄&N響の演奏であり、
まれに聴く名演といって良いと思います。


最近ありがちな
表面をきれいに整えた演奏ではないので、
インバル&都響などのCDを愛聴されていると、
がっかりされる方もいるかもしれませんが、

昔風の大演奏でマラ5を聴いてみたい方には、
ぜひお薦めしたいCDです。


山田一雄氏のマーラーのCDは、

京都市響との《復活》と、
N響との第5番が同じレベルで優れていて、

これに次ぐのが新日本フィルとの第9番、
今一つなのが都響との第8番だと思います。

決して見やすい指揮ではなかったので、
CDにすると失敗作に聴こえるものも多いのですが、

時折とんでもない名演が聴けるので、
今後のライブCDにも期待したいです。

2016年10月17日月曜日

オーマンディ&フィラデルフィア管のシベリウス:交響詩《4つの伝説曲》(1978年録音)

ハンガリー出身者の指揮者
ユージン・オーマンディ
(Eugene Ormandy, 1899年11月-1985年3月)の指揮する

アメリカのオーケストラ
フィラデルフィア管弦楽団の演奏で、

フィンランドの作曲家
ジャン・シベリウス
(Jean Sibelius, 1865年12月8日-1957年9月20日)の
交響詩《4つの伝説曲》作品22を聴きました。

指揮者78歳の時(1978年2月)の録音です


ジャン・シベリウス
交響詩《4つの伝説曲》作品22
①第1曲:レンミンカイネンと鳥の乙女
②第2曲:トゥオネラの白鳥
③第3曲:トゥオネラのレンミンカイネン
④第4曲:レンミンカイネンの帰郷

ルイス・ローゼンプラット(コーラングレ)
フィラデルフィア管弦楽団
ユージン・オーマンディ(指揮)

録音:1978年2月20日、フィラデルフィア、The Old Met
【WPCS-50841】2013年1月発売

交響詩《4つの伝説曲》作品22 は、
《レンミンカイネン、オーケストラのための4つの伝説》という正式名称で、
《4つのカレワラ伝説》《レンミンカイネン組曲》と呼ばれることもあります。

1893年から95年にかけて作曲され、
シベリウス30歳の時(1896年4月13日)に初演されました。

初演順に前後の作品を並べてみると、

 ①《クレルヴォ》作品7(初演1892年)
 ②《4つの伝説曲》作品22(初演1896年)
 ③ 交響曲第1番 ホ短調 作品39(初演1899年)

となっていて《クレルヴォ》と第1交響曲の
あいだに位置する作品ということになります。

《クレルヴォ》と第1交響曲との間に、
4楽章編成の交響曲風の大規模な管弦楽曲が作られていたことは、
つい最近まで気が付きませんでした。


松原千振(まつばらちふる)著
『ジャン・シベリウス ―交響曲でたどる生涯』
(アルテスパブリッシング、2013年7月)
を読んだ時に、

 第2章《クレルッヴォ》 
 第3章《レンミンカイネン組曲》
 第4章 交響曲第一番 

と章立てされているのをみて、
聴いてみたいなと思っていました。

このうち第2楽章《トゥオネラの白鳥》は、
度々聴く機会があって、美しく繊細な作品であることは良くわかっていたのですが、
4楽章の交響曲として聴けるのかは疑問でした。


  ***

実際に聴いてみて驚きました。

交響曲第2番のようなわかりやすい構成の音楽で、
レンミンカイネンの伝説について何も知らなくても、
最後まで感動のうちに聴き終えることができました。

確かに、
ワーグナーの《ワルキューレ》にそっくりな楽想が表れたりして、
安易なところに流れる傾向もあるので、
交響曲と呼ぶのは早いように思われますが、

一つ前の《クレルヴォ》よりは、一歩わかりやすく、
まとまりのよい4楽章構成の作品に仕上がっているように感じました。

《クレルヴォ》や交響曲第2番のような、
わかりやすいロマン的なシベリウスの作品が好きな方には、
《レンミンカイネン、オーケストラのための4つの伝説》
はお薦めの作品です。

他にも良い録音はあるかもしれませんが、

偶然聴いたオーマンディは、曲への共感に満ちた名演で、
これだけで十分この曲の魅力に気がつくことができました。

2016年10月10日月曜日

小澤征爾&水戸室内管のベートーヴェン:交響曲第4&7番(2014年録音)

小澤征爾(1935.9- )の指揮する
水戸室内管弦楽団の演奏で、

ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(Ludwig van Beethoven, 1770.12.16-1827.3)
交響曲第4番と第7番を聴きました。

小澤氏78歳の時
2014年1月17日、5月25日のコンサートをライブ録音したCDです


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
①交響曲第4番 変ロ長調 作品60
②交響曲第7番 イ長調 作品92

水戸室内管弦楽団
指揮:小澤征爾
録音:2014年1月17日(①)、5月25日(②)、水戸芸術館コンサートホールATM
【UCCD-1413】2015年1月発売

①交響曲第4番変ロ長調作品60は、
ベートーヴェン36歳の時(1807年3月)に初演された作品です

②交響曲第7番 イ長調 作品92
43歳の時(1813年12月8日)に初演された作品です


小澤征爾の指揮する水戸室内管弦楽団との《運命》を聴いて、
小澤氏のベートーヴェンも悪くないかもと思い、
4番と7番を収録したCDを購入してみました。

CDで聴く《運命》はよくいえば透明な、
悪くいえば少し気力の衰えを感じさせる演奏で、
無駄のない純音楽的な《運命》として、
究極的なところまで行き着いているとは思うものの、

心を揺さぶられるような感動を味わったかというと、
そこまでではないもどかしさが残りました。

しかし、
サイトウ・キネン・オーケストラとの録音よりも、
繰り返し聴きたくなる味わい深い演奏であったことは確かなので、
第4番と第7番を収録した1枚を聴いてみることにしました。

この中で、
圧倒的な迫力に驚いたのが第7番で、
《運命》の好印象を遥かに上回る名演が繰り広げられていました。

《運命》や第4番では、
室内オーケストラらしい薄い響きが若干気になっていたのですが、
第7番はまるで別のオケが弾いているのではないかと紛うばかりの
分厚い響きで、心を一気に鷲掴みにされました。

ふだんのオーソドックスなスタイルの中から、
一歩突き抜けた感じの物凄い音が溢れ出てきて、
これまで聴いたことのない第7番の世界が広がっていました。


このCDは、
小澤氏の録音に時折感じられる空虚さが微塵もなく、
耳に心地よい響きの充実したオケとともに、
手に汗握る名演が繰り広げられており、
私の中では疑いなく、第7番のベスト演奏の一つになりました。

第4番も、悪くはありません。
《運命》と同じくらいにはいいですし、
サイトウ・キネン・オーケストラとの旧録音より一歩、
解釈に深まりは感じられます。

しかしながら、
ほかを圧倒する何かがあるのかといわれると、
一貫してオーソドックスなスタイルを貫かれているだけに、
あえてこの第4番でなければならない特徴には欠けるように思われました。

小澤征爾&水戸室内管弦楽団のベートーヴェン、
第7番>《運命》>第4番
の順でお薦めです。

2016年10月3日月曜日

小澤征爾&シカゴ交響楽団のベートーヴェン:交響曲第5番《運命》(1968年録音)

小澤征爾(1935.9- )の指揮する
シカゴ交響楽団の演奏で、

ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(Ludwig van Beethoven, 1770.12.16-1827.3)
交響曲第5番《運命》 と、

オーストリアの作曲家
フランツ・シューベルト
(Franz Schubert, 1797.1-1828.11)
交響曲第7番《未完成》 を聴きました。


ベートーヴェン
①交響曲第5番 ハ短調 作品67《運命》
シューベルト
②交響曲第7番 ロ短調 D789《未完成》

小澤征爾(指揮)
シカゴ交響楽団
録音:1968年8月9日、シカゴ、オーケストラ・ホール
【SICC-1787】2015年4月発売

小澤氏79歳の時(2015.3)に録音された
水戸室内管弦楽団との《運命》を聴いて、
昔はどうだったのか気になりました。

遡ること47年、32歳の時(1968.8)に録音された
シカゴ交響楽団との《運命》が最近復刻されたので、
聴いてみることにしました。

その結果、
同一人物なので当然のことかもしれませんが、
基本的なスタイルは30代の時から変わっていないことを確認できました。

楽譜を変に深読みしないで、
正攻法で真っ正面から切り込んでいくスタイルは、

失敗すると、
味も素っ気もない空虚さと隣り合わせなので、
必ずしもそこにこだわる必要はないと思うのですが、

正攻法で攻めて、
しかも圧倒的な感動を与えられるのなら、
非難されるいわれはないでしょう。


新旧2つの録音とも、
基本的なスタイルは変わっていないのですが、
私にとって魅力的だったのは旧録音のほうでした。

解釈面で非の打ち所のないのは、
経験値が生かされている新録音のほうで、
旧録音ではごく僅かながら接続にぎこちなさを感じるところがありました。

それでも、
若い指揮者のもとに強い共感をもって演奏する
シカゴ交響楽団の分厚い響きが実に魅力的で、

あふれんばかりの若々しい情熱がそのまま再現されていて、
率直に心を動かされました。

大オーケストラの懐の深い響きと比べると、
室内オーケストラでは多少の聴き劣りがするのは仕方がないことかもしれません。

1968年録音の《運命》は、
今聴いても十分に感動できる正攻法の名演だと思います。


小澤氏の指揮による《運命》は、
この他にも

 1981年1月録音 ボストン交響楽団
 2000年9月録音 サイトウ・キネン・オーケストラ

の2つがあるので、今後機会があれば聴いてみたいと思います。

なお、
併録されている《未完成》は凡演でした。
《運命》と同じスタイルなのですが、

独特の歌心なしで、若さと情熱だけを武器に、
シューベルトに立ち向かうのは無理があるように感じました。

2016年9月26日月曜日

オーマンディ&フィラデルフィア管のシベリウス:交響曲第2番(1957年録音)

ハンガリー出身の指揮者
ユージン・オーマンディ
(Eugene Ormandy, 1899.11-1985.3)の指揮する

アメリカのオーケストラ
フィラデルフィア管弦楽団の演奏、

ソ連のヴァイオリニスト
ダヴィッド・オイストラフ
(David Oistrakh, 1908.9-74.10)の独奏で、

フィンランドの作曲家
ジャン・シベリウス(Jean Sibelius, 1865.12-1957.9)の
交響曲第2番ニ長調作品43と、ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47を聴きました。

交響曲は指揮者57歳の時(1957.3)、
協奏曲は指揮者60歳、独奏者51歳の時(1959.12)の録音です。


ジャン・シベリウス
①交響曲第2番ニ長調作品43
②ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47

ユージン・オーマンディ(指揮)
フィラデルフィア管弦楽団
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン②)
録音:1957年3月(①)、1959年12月(②)
【SRCR1839】※1997年6月発売

前後の作品とともに、
初演日を掲げておきます。

《フィンランディア》作品26
(1899年11月4日初演◇33歳)

①交響曲第2番ニ長調作品43
(1902年3月8日初演◇36歳)
②ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
(1904年2月8日初演◇38歳)

交響曲第3番ハ長調作品52
(1907年9月25日初演◇41歳)


  ***

オーマンディのシベリウスを、
評価するきっかけになった1枚です。

このCD、廉価盤なのですが、
原盤を変に加工しないで復刻しているからか、

わずかに残るヒス音が、
かえって臨場感を増す結果を生んでいて、

朗々と鳴りわたるオケの深い響きに身を任せているうちに、
あっという間に最後まで聴き終わる、
感動的な名演が繰り広げられていました。

廉価盤だったこともあって、
名演かどうかはあまり気にしないで、
ふつうに聴いて、感動して、時折また取り出して、
聴いては感動してを繰り返していたのですが、

オーマンディを遥かに上回る演奏に出会っていないことも確かです。

指揮者の共感度の高い、
音楽的にバランスの取れた充実した演奏であり、
シベ2の名盤の一つだと思います。

  ***

オーマンディはどんな曲でもそつなくこなす指揮者なのですが、
シベリウスの録音は、他より一歩秀でているものが多いようです。

ぜひ他の録音も聴いてみたいと思い、
いくつか購入してみたのですが、
音質に不満のあるものが多く、今のところハズレ続きです。


こちらは8枚セットで一番お買い得だったのですが、
残念ながら安かろう悪かろうで、
一昔前の国内の廉価盤CDを聴いているような、
古ぼけた感じの痩せた音質のものばかりだったので、
途中で聴くのを止めてしまいました。

魅力的なラインナップと安さにつられて、
同じシリーズから、
ハイフェッツのベートーヴェンと、
ルービンシュタインのショパンも購入してみましたが、
いずれも安っぽい残念な音質でした。


こちらの3枚セットは、上記8枚セットとは違って、
編者の意図が強く感じられる凝った作りのCDなのですが、
廉価盤のときに聴こえていたヒス音がきれいに拭い去られて、
臨場感に乏しく、硬い音に聴こえてしまうのが難点でした。

以上、ご参考までに。

2016年9月19日月曜日

マゼール&バイエルン放送響のシューベルト:交響曲全集その3(2001年録音)

フランス生まれ、アメリカ出身の指揮者
ロリン・マゼール(Lorin Maazel, 1930.3-2014.7)が指揮する

ドイツのオーケストラ
バイエルン放送交響楽団の演奏で、

オーストリアの作曲家
フランツ・シューベルト(Franz Schubert, 1797.1-1828.11)の
交響曲全集を聴いていますが、

今回はCD3に収録されている
交響曲第7・8番を聴きました。

マゼール71歳の時(2001年)のライブ録音です


◯CD3
フランツ・シューベルト(1797.1-1828.11)
交響曲第7(8)番 ロ短調 D.759《未完成》(18年月完成)※歳
交響曲第8(9)番 ハ長調 D.944《ザ・グレート》(18年月完成)※歳

ロリン・マゼール指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:2001年3月18日
【BR KLASSIK 900712】※2013年発売

この全集は、
現地でのテレビ放映を録画したものを
とある動画サイトで観かける機会があって、

初期の交響曲の美しさに感動し、
CDで購入するきっかけになりました。

その時は《未完成》と《グレート》には注目していなかったので、
それほど期待していなかったのですが、

今回じっくり聴いてみて、
意外な名演に深く感動しました。


過激なデフォルメをしない、
中庸な解釈に変わりはないのですが、

曲想に合わせてスケール感が増し、
心持ち速めのテンポで一気に駆け抜けていく、
非常に充実した演奏に仕上がっていました。


《未完成》と《グレート》は、
曲への期待が大き過ぎるのか、CDで聴くと、
何かしら不満が残る演奏が多かったのですが、

今まで聴いてきた中では、
明らかにベストの出来でした。


全体を通してみると、
音質の面で、FMラジオでライブ演奏を聴いているような感じで、
ごく自然な響きではあるのですが、

あとひと押し、
最新の分離のよい録音と比べると、
細部を聴き取りにくい所があるように感じました。

過激なところはないものの、
ブロムシュテットやスウィトナーと比べれば、
はるかに自己主張のある中での「中庸な」演奏なので、
個人的に一推しの全集となりました。

2016年9月12日月曜日

広上淳一&京都市響定期演奏会:名曲ライブシリーズ3(2012-13年録音)

広上淳一(1958年5月- )氏の指揮する
京都市交響楽団第559・566回定期演奏会
のライブCDを聴きました。


広上淳一指揮
京都市交響楽団定期演奏会/名曲ライブシリーズ3

①R.シュトラウス:13管楽器のためのセレナード変ホ長調op.7
②R.シュトラウス:交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》op.28
③R.シュトラウス:歌劇《ばらの騎士》組曲
④ハチャトリアン:組曲《仮面舞踏会》

京都市交響楽団
広上淳一(指揮)
コンサートマスター:泉原隆志(②③)、渡邉穰(④)
録音:2012年7月20日(①-③/第559回定期演奏会)、2013年3月24日(第566回定期演奏会)、京都コンサートホール
【KSOL1004】2013年9月発売

広上淳一&京都市響のリヒャルト・シュトラウスを中心としたプログラム。

13楽器のためのセレナードは、
モーツァルトを聴くような可憐な美しい作品でした。

初めて聴いたので、
他と比べてどうなのかはわかりませんが、
とても充実した内容の作品に聴こえました。

《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》と、
《ばらの騎士》組曲は、
どちらも広上氏らしい個性に彩られた名演で、
今まで聴いてきたどの演奏よりも強い説得力にあふれ、
この曲の面白さにようやく気がつくことができました。

リヒャルト・シュトラウスは、
ライブだとオケの弱さを感じることが多いのですが、
3曲ともオケの状態がいいのか、
機能の面で不満を感じることは全くありませんでした。

④のハチャトリアンは、
少し長めのアンコールを聴くような印象で、
本来そこまで内容のない曲を、
深くえぐり抜いて手に汗握る演奏に仕上げていました。


広上淳一氏で個人的に好きなのはベートーヴェンなのですが、

リヒャルト・シュトラウスやレスピーギなど、
オーケストラの機能を最大限に引き出す曲目も得意なようです。

京都市響とはリヒャルト・シュトラウスに力を入れているようなので、
個人的には苦手な作曲家なのですが、この機会に聴き込んでみたいと思っています。

2016年9月5日月曜日

小澤征爾&水戸室内管のベートーヴェン:交響曲第5番《運命》(2016年録音)

小澤征爾(1935.9- )の指揮する
水戸室内管弦楽団の演奏で、

ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(Ludwig van Beethoven, 1770.12.16-1827.3)
交響曲第5番《運命》と、

オーストリアの作曲家
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756.1-1791.12)
クラリネット協奏曲 を聴きました。

小澤氏80歳の時
2016年3月25、27日のコンサートを録音したCDです。

体調を考慮して小澤氏の指揮は《運命》のみ。

クラリネット協奏曲は、
水戸室内管弦楽団のメンバーである
リカルド・モラレス(Ricardo Morales. 1972- )を独奏者に迎え、
指揮者なしで演奏されています。


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
①交響曲第5番 ハ短調 作品67《運命》

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
②クラリネット協奏曲 イ長調 K.622

リカルド・モラレス(クラリネット)
水戸室内管弦楽団
指揮:小澤征爾(①)
【UCCD-1433】2016年8月発売


交響曲第5番 ハ短調 作品67《運命》は、
ベートーヴェン38歳の時(1808.12.22)に初演された作品です。

クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 は、
モーツァルト35歳の時(1791.11)に完成された作品です。


最近の小澤征爾は凄い、
という噂が気になったので最新の録音を聴いてみました。

楽譜を誇張せずに表現していくスタイルとしては、
滅多に到達できないところまで行き着いていて、

室内オーケストラとの録音という前提つきであれば、
最高レベルの《運命》だと思いました。

ただ気になったのは、
聴きやすい音には録れているのですが、
録音を乗り越えて伝わって来るはずの情熱が、
今一歩のように感じられたことです。

情熱不足の《運命》はありか無しか。

体調が影響したのか、
録音の加減なのかは不明ですが、
聴きやすい耳に心地のよい音で録れているだけに、
とても惜しい演奏に思えました。

過去の小澤氏の《運命》とも比べてみたくなったので、
手に入りやすいものから聴いてみようと考えています。


なお、どちらかといえば、
それほど期待していなかった
リカルド・モラレス氏の独奏による
クラリネット協奏曲が期待をはるかに上回る出来でした。

飛び切りの名曲のわりに、
録音がむつかしいのか満足できるCDにこれまで出会えなかったのですが、

どこも欠点のない完璧な仕上がりで、
オケともども理想的な名演に仕上がっていると思います。

クラリネットにはそこまでこだわりがないので、
恐らく聴き逃している録音も多かろうと思いますが、
私にとっての今現在のベスト盤になりました。

2016年8月30日火曜日

ヤマザキマザック美術館の「パリの巨匠アイズピリ ―描きつづけた80年」展

去る8月28日(日)、
新栄のヤマザキマザック美術館まで、

今年の正月に96歳で亡くなった
フランスの画家ポール・アイズピリ
(Paul AÏZPIRI, 1919年5月14日-2016年1月22日)
の回顧展「パリの巨匠アイズピリ ―描きつづけた80年」
を観に行って来ました。

 ※日程 2016年4月23日(土)~8月28日(日)
 ※主催 ヤマザキマザック美術館/中日新聞

アイズピリについて何も知らなかったのですが、
チラシのゴッホを思わせる個性的な絵柄に惹かれ、
観に行って来ました。


  ***

ヤマザキマザック美術館は、今から6年前(2010年4月)、
ヤマザキマザック株式会社によって開館された美術館で、
地下鉄東山線「新栄町」を降りてすぐの所にあります。

地下から直通で美術館に入って行けるので便利です。

こちらの本社(丹羽郡大口町)が、
江南市の自宅からすぐ近くにあることを知ったので、
本社についても少しだけ調べてみました。

ヤマザキマザック株式会社は
「『世界のモノづくり』の基礎を支える工作機械メーカー」であり、
1919年3月に山崎定吉(1894-1962)氏によって創業されました。

 ※もとは「山崎鉄工所」と呼ばれていたが、
  のちに「ヤマザキマザック」と社名を変更(1985年11月)。

1962年10月に創業者の定吉氏の逝去を受けて、
子息の山崎照幸(1928-2011)氏が代表取締役に就任。

この照幸氏の蒐集による
「18世紀から20世紀にわたる
 フランス美術300年の流れを一望する
 絵画作品及びアール・ヌーヴォーのガラスや家具等」
のコレクションを収蔵、公開することを目的の一つとして、

2010年4月に、山崎照幸氏を初代館長として、
ヤマザキマザック美術館が開館されたそうです。

※ヤマザキマザック美術館のホームページの「ごあいさつ」〈http://www.mazak-art.com/about/message/index.html〉、およびヤマザキマザック株式会社のホームページの「企業情報」〈https://www.mazak.jp/about-mazak/company-history/〉を参照。


  ***

今回のアイズピリの回顧展では、

山崎照幸氏が収集された50点以上に及ぶ
「ヤマザキマザック アイズピリ・コレクション」
の大部分(48点)が公開されていました。

アイズピリの作品を、
まとめて50点以上収蔵されている美術館は、
他にあるのかどうか。

詳しく調べていないので、
違っているかもしれませんが、
日本では「ヤマザキマザック」が唯一のようです。


全体を見渡すと、
人物画が半数以上を占めていました。

ゴッホを健康的にして、
少しキュビズムの要素を加えたような
独特の人物画で、

すぐにアイズピリとわかる
個性的な画風に興味を惹かれました。

ただ残念ながら、彼の人物画は、
個人的にあまり好きにはなれませんでした。

別に嫌いではないのですが、
彼ならではの個性が発揮されるほど、
人間でない異様な何かに変容していくようで、
私の好みには合いませんでした。

唯一いいなと思えたのは、
《ハートのカードを持つ婦人》1985年
【出品作品No.30/図録作品No.32】
ですが、こちらは彼ならではの個性が抑え気味で、
ごくふつうに描いてくれたから気に入ったようにも思われます。


どちらかと言えば人物でないほうが、
私の好みに合う絵が見つかりました。

今回、特にいいなと思えたのは、
生け花や鳥の置物をモチーフにした静物画から1点、

《鳥とブーケ》1988年
【出品作品No.40/図録作品No.44】

そして机上の雑多な物を描いた静物画から2点、

《トランプのある静物》1988年
【出品作品No.39/図録作品No.43】

《静物》1989年
【出品作品No.47/図録作品No.53】

さらに大きな風景画1点、

《旗と船》1989年
【出品作品No.48/図録作品No.54】

以上の4点は、自分でも手に入れたいくらい好きになりました。
特に《旗と船》は、今回のアイズピリ作品のなかで一番気に入りました。

※以上、図録『ヤマザキマザック アイズピリ・コレクション』(2016年4月)を参照。


  ***

展示の半分(3分の2くらい?)は、
ヤマザキマザック美術館の常設展になっていて、
こちらも豪華な展示品に驚かされました。

今回初めて出会い、
心を奪われたのがフランスの女性画家
エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)
でした。

《エカチェリーナ・フェオドロヴナ・ドルゴロウキー皇女》1797年頃
《リラを弾く女性》1804年

肖像画の得意な
フランス革命を象徴する人気画家だそうで、

Googleで画像検索にかけると、
画像修正したプロマイドが並んでいるようでもあり、
一度まとめて観てみたいと思いました。

あと最後にずらりと並んでいたのが、
フランスのガラス工芸家
エミール・ガレ(1846-1904)の作品群。

ど素人なので何も語れませんが、
そんな私が観てもすなおに美しいと思える
ガラス工芸の作品の数々が並んでいました。

また次回、
特徴的な展示会が開催される時に、
観に来たいと思いました。

2016年8月29日月曜日

広上淳一&京都市響定期演奏会:名曲ライブシリーズ2(2011年録音)

広上淳一(1958年5月- )氏の指揮する
京都市交響楽団第549回定期演奏会
のライブCDを聴きました。


広上淳一指揮
京都市交響楽団定期演奏会/名曲ライブシリーズ2

①ドヴォルザーク:序曲《謝肉祭》作品92
②レスピーギ:交響詩《ローマの祭》
③R.シュトラウス:交響詩《ドン・キホーテ》作品35

京都市交響楽団
独奏:上村昇(京響ソロ主席チェロ奏者)
   店村眞積(ビオラ)
コンサートマスター:渡邉穣
広上淳一(指揮)

録音:2011年8月5日、京都コンサートホール大ホール(京都市交響楽団第549回定期演奏会)
【KSOL1003】2012年2月発売

随分前に手に入れていたのですが、
《ローマの松》の印象が強すぎて他が霞んでしまったので、
しばらく時間を置いて聴き直してみました。

やはり②《ローマの祭》が、
広上氏独特の個性的な解釈が光る、
強い印象の残る熱演でした。

若い頃、日本フィルと収録した
ローマ三部作のCDもかなりの名演だったので、
広上氏の自信曲なのでしょう。

①《謝肉祭》はごく普通の演奏です。
別に不満はないのですが、
それほど深い印象は残りませんでした。


③《ドン・キホーテ》は
初めて聴く曲であることと、

直前の《ローマの祭》の印象が強く残り過ぎて、
今一つ良くわからない演奏だったのですが、

時間を置いて《ドン・キホーテ》だけ繰り返し聴いていると、
どんな曲なのかは良くわかってきました。

ライブとしてはかなりレベルの高い演奏だと思いますが、
他を圧倒する何かがあるかといわれると、
もう一押し説得力が足りないように感じました。

ほかの演奏を知らないので、
いくつかCDを聴いてから、
もう一度聴き直してみようと思います。


全体として聴くと、
②《ローマの祭》の印象が強く残りすぎるので、
定演をそのまま収録するにせよ、
1枚のCDとしては、曲順のバランスが悪いように感じました。

①《謝肉祭》と③《ドン・キホーテ》も、
ライブでこの演奏が聴けたら
十分満足できるレベルだと思います。


広上氏はそういえば、
リヒャルト・シュトラウスを頻繁に取り上げているので、
日本フィルでの録音も含めて、
改めて聴き直していこうと思います。

2016年8月18日木曜日

名古屋ボストン美術館の「ルノワールの時代 ―近代ヨーロッパの光と影―」展

去る8月16日(火)、
金山の名古屋ボストン美術館まで、
「ルノワールの時代 ―近代ヨーロッパの光と影―」展
を観に行って来ました。

日程は
 2016年3月19日(土)~8月21日(日)
主催は、
 名古屋ボストン美術館
 ボストン美術館(図録参照)。


フランスの画家
ピエール=オーギュスト・ルノワール
(Pierre-Auguste Renoir, 1841.2-1919.12)
の名品をたくさん観られるかと期待していたところ、
全87点中4点のみでした。

 32《ブージヴァルのダンス》1883年
 34《ガンジー島の海辺の子どもたち》1883年頃
 特別出品1《ピクニック》
 特別出品2《マッソーニ夫人》

ボストン美術館蔵の2作品のほか、
国内の個人蔵2作品が紹介されていました。

このうち32・34は、これだけで
十分魅力あふれる作品であることが伝わって来ました。

ルノワールの描く女性画には、
個人的にそこまで惹かれないのですが、
そんな私にも惹きつけられたのは34でした

ほかの2点は、
あまりお目にかかれない貴重な作品のようですが、
ほかのルノワールの作品と並べてみないと、
真価はわかりませんでした。

「ルノワールの時代」と謳う以上は、
せめて10作品ぐらいはルノワールが観られる、
と期待するのは素人考えなのでしょうか。

本家のボストン美術館には
ルノワールの作品があまり収蔵されていないのか、
ルノワールの展示にはケタ違いの金額がかかるのか、
その辺の事情はよくわかりません。


 ***

今回は、以前にも観た覚えがある
ボストン美術館蔵の19世紀後半の名作に再会できたのが、
一番の収穫でした。

特にお気に入りなのは
オランダの画家
ヨーゼフ・イスラエルス
(Jozef Israëls, オランダ, 1824-1911)の
 11《別離の前日》1862年
です。

この作品は、
ちょうど2年前(2014年8月14日)、
名古屋ボストン美術館で行われた
「開館15周年記念 ボストン美術館 ミレー展
 ~バルビゾン村とフォンテーヌブローの村から」
を観に行ったときに出会った作品で、
またいずれ再会したいと思っていました。

その他、
今回初めて心を奪われたのは、
アメリカの印象派の画家による2作品です。

アーネスト・リー・メジャー
(Ernest Lee Major, 1864-1950)
19《休息―モンティニー=シュル=ロワン》1888年

フレデリック・ポーター・ヴィントン
(Frederic Porter Vinton, 1846-1911)
20《洗濯女》1890年

自然の緑のなかに
明るく浮かび上がる光の印象が心地よく、
素敵な作品だと思いました。

あとこの2作ほどではないのですが、
フランスの画家による3作品も気になりました。

ジャン=フランソワ・ラファエリ
(Jean-François Raffëlli, 1850-1924)
39《ノートルダム大聖堂前の広場、パリ》
40《サンテティエンヌ・デュ・モン教会、パリ》1897年頃

クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926)
31《アルジャントゥイユの雪》1874年頃
42《チャリングクロス橋(曇りの日)、1900年》1900年

ラファエリの2作品は、
どちらもありがちな風景画なのですが、
他と少し違った味わい深さがあるように感じられました。

モネの2作品は、
素人の私でも知っているモネ独自の画風の42と、
意外な感じがした雪の日の情景画31
が心に残りましたが、
モネの作品としてはより良いものがあるかもしれません。


  ***

私の好きな作品に出会えたので、
それなりに楽しめた企画展でした。

2016年8月1日月曜日

クレンペラー&フィルハーモニア管のベートーヴェン:交響曲第9番(1960年ライブ)

ドイツ帝国ブレスラウ
(現在のポーランドのヴロツワフ)生まれの指揮者
オットー・クレンペラー
(Otto Klemperer, 1885.5-1973.7)の指揮する
イギリスのオーケストラ
フィルハーモニア管弦楽団の演奏で、

ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(1770.12-1827.3)の交響曲第9番を聴きました。

1960年のウィーン芸術週間ライブとして有名な全集で
Membranの10枚組CD の ◯DISC6 に収録されています。


◯DISC6
交響曲第9番ニ短調 作品125《合唱》
 (録音:1960年6月7日)

ヴィルマ・リップ(ソプラノ)
ウルズラ・ベーゼ(アルト)
フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール)
フランツ・クラス(バス)
ウィーン楽友協会合唱団

フィルハーモニー管弦楽団
オットー・クレンペラー(指揮)
【Membran 10CD Collection /No.600135】2014年1月発売

第9は大曲なので多少心配していましたが、
幸い好調を維持していて、

熱くならないのになぜか面白い、
耳が吸い寄せられる独特の魅力をたたえた演奏に仕上がっていて、
久しぶりに第9を堪能することができました。

音質は今ひとつですが、
聴きにくい威圧的な音ではないので、
いろいろ聴き込んでいく中の1枚としては、
まずまず納得できる高いレベルの演奏だと思いました。

今回の全集、
第7番のみ明らかに不出来でしたが、
ほかは好調さを持続していて、
充実した時間を過ごすことができました。

音質はどれも似たり寄ったりで、
AMラジオから聴こえてくるライブと思えば、
ふつうに聴けるレベルでした。

クレンペラーらしく、熱くならないのになぜか、
耳を吸い寄せられる魅力があって、
不思議と最後まで聴き通してしまう、
クレンペラーならではの演奏が繰り広げられていました。

なおテンポは速めではないものの、
目立ってゆっくりなわけでもなく、
どれも穏当なテンポ設定に思われました。

クレンペラーというと遅めのテンポを想定しがちですが、
75歳の時のベートーヴェンはいたって穏当で、
ふつうに演奏すればそれですべてがうまくいく、
とても相性のよい作曲家であるように感じました。

クレンペラーのベートーヴェンといえば、
スタジオ録音の全集のほうを上げるのが普通だと思うので、
次はそちらを聴かねばならぬと思い始めているところです。

2016年7月25日月曜日

ブレンデルのシューベルト:ピアノ作品集3(1972・75年録音)

チェコスロバキア共和国(現・チェコ共和国)
モラヴィア地方生まれのピアニスト、
アルフレード・ブレンデル
(Alfred Brendel, 1931.1- )の演奏で、

オーストリアの作曲家
フランツ・シューベルト(Franz Schibert, 1797.1-1828.11)の
ピアノ作品集を聴きました。

7枚組CDの3枚目で、
ピアノ・ソナタ
 第17番ニ長調 作品53 D850 ※4楽章
 第18番ト長調 作品78 D894 《幻想》※4楽章
の2曲が収録されています。


シューベルト:ピアノ作品集
CD3
①ピアノ・ソナタ(第17番)ニ長調 D850(op.53)
②ピアノ・ソナタ(第18番)ハ長調 D894《幻想》(op.78)

アルフレート・ブレンデル(ピアノ)
録音:1974年(①)、1972年(②)
【Eloquence 480 1218】2008年発売

一つ前のCD2には、
シューベルトが26歳の時(1823)に作曲された第14番と、
28歳の時(1825)に作曲された第15・16番のソナタが収録されていました。

1823年2月作曲
 ピアノ・ソナタ第14番イ短調 D784 ※3楽章
1825年4月作曲
 ピアノ・ソナタ第15番ハ長調 D840《レリーク》※2楽章
同年5月頃作曲
 ピアノ・ソナタ第16番イ短調 D845 ※4楽章

このCD3には、
同じ28歳の時に作曲されたもう1曲のソナタ(第17番)と、
翌年29歳の時に作曲された第18番のソナタが収録されています。

1825年8月
 ピアノ・ソナタ第17番ニ長調 D850 ※4楽章
1826年10月
 ピアノ・ソナタ第18番ト長調 D894《幻想※4楽章

※作品番号等の分類については、便宜的に、音楽之友社編『作曲家別 名曲解説ライブラリー17 シューベルト』(音楽之友社、1994年11月)の記述に従いました(「ピアノソナタ 総説」の執筆は平野昭氏)。


  ***

どちらも4楽章編成の大曲で、
美しいメロディには事欠かないのですが、

今一つ第4楽章の印象がうすく、
おっとりのんびりした雰囲気で静かに終わるので、
注意して聴かないと、17番と18番の切れ目がわからなくなりがちでした。

それでも繰り返し聴きこむごとに、
シューベルトの叙情的なメロディがそこかしこに浮かび上がって、
独特の美しく穏やかな世界が広がって行きました。

まだ残念ながら、少し時間が経つと、
どれが第何番のソナタなのかわからなくなる状態なのですが、

聴けばすぐに、
美しいシューベルトの音楽が心に染みる程度には、
曲の内容がわかってきました。

どちらかといえば、
第18番の《幻想》ソナタの方が有名ですが、
一つ前の第17番のソナタも類似の大曲で、
十分な魅力を備えていることに気がつけたのも収穫でした。

ブレンデルのピアノは、
無理のない常識的な範囲で、
作品の真価を過不足なく伝えるもので、
シューベルトとの特別な相性の良さを感じました。

それでは、次の1枚に進みましょう。

2016年7月18日月曜日

マゼール&バイエルン放送響のシューベルト:交響曲全集その2(2001年録音)

フランス生まれ、アメリカ出身の指揮者
ロリン・マゼール(Lorin Maazel, 1930.3-2014.7)が指揮する

ドイツのオーケストラ
バイエルン放送交響楽団の演奏で、

オーストリアの作曲家
フランツ・シューベルト(Franz Schubert, 1797.1-1828.11)の
交響曲全集を聴いていますが、

今回はCD2に収録されている
交響曲第3・4・5番を聴きました。

マゼール71歳の時(2001年)のライブ録音です


CD2
フランツ・シューベルト(1797.1-1828.11)
交響曲第3番 ニ長調 D.200(1815年7月完成)※18歳
交響曲第4番 ハ短調 D.415《悲劇的》(1816年4月完成)※19歳
交響曲第5番 変ロ長調 D.589(1816年10月完成)※19歳

ロリン・マゼール指揮
バイエルン放送交響楽団
録音:2001年3月13日(第3番)、同16日(第4・5番)
【BR KLASSIK 900712】2013年発売

過激なデフォルメをしない、
中庸な解釈によるシューベルト演奏です。

共感度に欠けるわけではなく、
中身のつまった充実した演奏で、
心持ち速めのテンポで一気に駆け抜けていくので、

飽きる間もなく、
どんどん曲が進んでいき、
どれもいい曲を聴いた印象が残ります。

ベートーヴェンのような深刻さには欠けますが、
ハイドンのような楽しさ一杯の交響曲として、
もっと演奏されても良い名曲のように感じました。

でも実をいうと、
第1番から6番までは、
どれも同じような色合いの似た曲に聴こえてしまうことも確かで、

だから悪いということもないのですが、
曲それぞれの個性がわかって来るまでには、
もう少し時間がかかりそうな気がします。

シューベルトの交響曲が、
どれも名曲ぞろいであることがわかっただけでも、
私にとって十分に意味のある録音でした。

2016年7月8日金曜日

名古屋市美術館の「藤田嗣治―東と西を結ぶ絵画―」展

去る7月10日(日)、
伏見の名古屋市美術館まで、
「生誕130年記念 藤田嗣治―東と西を結ぶ絵画―」展
を観に行って来ました。

図録を参照すると、名古屋会場は
 2016年4月29日(金)~7月3日(日)
の日程で、
 名古屋市美術館
 中日新聞社
 NHK名古屋放送局
の主催となっています。

東京で生まれ、パリで活躍した画家
藤田嗣治(ふじたつぐはる 1886.11-1968.1)氏については、
辛うじて名前を知っているくらいで、
意識して観たことはありませんでした。

彼がどんな人物なのかはこれからじっくり学ぶとして、
今回は、この展覧会で観た作品のなかから、
私の心にピンと来たものを選び出しておきます。

図録を参照すると、
展示はつぎの6章から構成されていました。

 Ⅰ 模索の時代 1909-1918
 Ⅱ パリ画壇の寵児 1919-1929
 Ⅲ さまよう画家 1930-1937
 Ⅳ 戦争と国家 1938-1948
 Ⅴ フランスとの再会 1949-1963
 Ⅵ 平和への祈り 1952-1968


  ***

【Ⅰ 模索の時代 1909-1918】のなかでは、
「002 自画像」(1910)のみ印象に残りました。

才能がきらきらしている風ではなかったのですが、
それでも人物画に独特の才能があることは、
ほのか伝わって来ました。


【Ⅱ パリ画壇の寵児 1919-1929】は、
恐らく藤田の出世作が並んでいるのでしょうが、

私の好きな画風でないからなのか、
一見して心を奪われる圧倒的な作品は見つかりませんでした。

それでも人物の捉え方がかなり独特で、
ほんわかした雰囲気の柔らかな画風は、
深く印象に残りました。

この章でも、
「038 猫のいる自画像」(1927頃)と、
「042 自画像」「043 自画像」(1929)は、
私の好みではないのですが、ユーモラスな画風が印象に残りました。


【Ⅲ さまよう画家 1930-1937】は印象的な人物画が並びます。

ひとつひとつを観ていくと、
不思議な魅力に惹き込まれていくのですが、
これらの人物画が好きかといわれると、
私はあまり好きになれませんでした。

私だけかもしれませんが、
人物画は、ぱっと観たときの印象で
好き嫌いが大きく分かれてしまうので、
なかなか波長の合う作品には出会えません。

西洋画ではあまり観ない
日本の漫画をみるような独特の画法で、
藤田独自の世界感が表現されているとは思うのですが、

私には、
藤田の人物画には何かしら嫌味な部分を感じることが多く、
感銘を受けるまでには至りませんでした。


【Ⅳ 戦争と国家 1938-1948 】は、
「095 アッツ島玉砕」(1943)の持つ例外的な迫力に圧倒されました。

特に新しい技法を用いているわけではないようですが、
大きな画面から溢れんばかりに作者の熱い思いが伝わって来て、
深く心を揺さぶられました。

この作品を観られただけでも、
この展覧会に足を運んだ価値がありました。

他の作品とはまるで別人が描いたかのようにも感じました。

「アッツ島玉砕」を観てしまうと、
ほかの作品が一気に色あせてしまいましたが、

この章ではやはり「092 自画像」(1943)がすっと心に入って来ました。


【Ⅴ フランスとの再会 1949-1963 】は、
ある種吹っ切れたところがあったのか、

それ以前に見受けられた
藤田氏独特のアク、癖、嫌味といったものがほぼ無くなっていて、
私と波長の合う優れた作品が多く見つかりました。

「104 室内」(1950)
「107 ノートル=ダム・ド・ベルヴゼ。ヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョン」(1951)
「141 パリ、カスタニャ通り」(1958)

の3つの風景画は、
図録で観ると特別な作品には思えないのですが、
シンプルな構図と明るく透明な色彩に、
不思議と強く心洗われました。

この3作品ほどの強さは感じなかったのですが、

「153 ノートル=ダム=ド= パリ、フルール河岸」(1963)
「154 静物(夏の果物)」(1963)

の2つの風景画、静物画も同類の美しさがありました。

藤田氏の人物画は、
あまり好きになれなかったのですが、
この時期の風景画や静物画は、
もっと観てみたいと思いました。


【Ⅵ 平和への祈り 1952-1968 】は、
藤田氏の人生の総決算というべき作品群なのでしょうが、

私には、
昔の藤田氏の嫌味なところが強調されているように感じられ、
好きにはなれませんでした。

溢れんばかりの才能が、
芸術家としての行き場を探しているうちに、
何か違う方向にズレていった一生のように感じました。

ところどころで見受けられる、
とんでもなく高いレベルの芸術的な絵画と、
そこまでではない玄人ウケしそうなプロの作品とが混在していて、
興味深い画家であることを強く認識できました。


2016年7月4日月曜日

クレンペラー&フィルハーモニア管のベートーヴェン:交響曲第5・6番(1960年ライブ)

ドイツ帝国ブレスラウ
(現在のポーランドのヴロツワフ)生まれの指揮者
オットー・クレンペラー
(Otto Klemperer, 1885.5-1973.7)の指揮する
イギリスのオーケストラ
フィルハーモニア管弦楽団の演奏で、

ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(1770.12-1827.3)の交響曲第5・6番を聴きました。

1960年のウィーン芸術週間ライブとして有名な全集で、
Membranの10枚組CD の ◯DISC5 に収録されています。


◯DISC5
ベートーヴェン
交響曲第5番ハ短調 作品67《運命》
 (録音:1960年5月31日)
交響曲第6番ヘ長調 作品68《田園》
 (録音:1960年6月2日)

フィルハーモニー管弦楽団
オットー・クレンペラー(指揮)
【Membran 10CD Collection /No.600135】2014年1月発売

第7番が今一つだったものの、
それ以外は充実した演奏を聴かせてくれている
1960年のライブによるベートーヴェンの交響曲
《運命》と《田園》を収めた1枚を聴きました。

どちらも集中力の切れない好調時の演奏で、
《運命》《田園》ともによく出来た名曲であることを再確認できました。

それほどいい音で録れているわけではなく、
またフルトヴェングラーのように勢いに任せた演奏でもないのですが、

一度聴き始めると、
不思議とそのまま耳が吸いついて、
魅力的な音楽として最後まで聴き通せてしまう、
クレンペラーならではの名演になっていると思いました。

特に興味深かったのが《運命》で、
クレンペラーらしく、前のめりになってあせる要素がどこにもない
落ちついた演奏であるにも関わらず、
曲の魅力満載の充実した演奏になっています。

熱くならない《運命》が、
こんなにおもしろく聴こえることは恐らく稀なことでしょう。

録音は今ひとつですが、
これまで5枚聴いてきた中では一番興味深い演奏でした。

2016年6月27日月曜日

イ・ムジチ合奏団のヴィヴァルディ:《四季》(1959年録音)

1951年にイタリアで結成された室内楽団
イ・ムジチ合奏団(I Musici)の演奏で、

ヴェネチア出身の作曲家
アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi, 1678.3-1741.7)の
ヴァイオリン協奏曲集《四季》を聴きました。

ヴィヴァルディ47歳の時(1725年)に出版された
《和声と創意への試み》作品8(全12曲)のうちの最初の4曲です。

スペインのヴァイオリニスト
フェリックス・アーヨ(Felix Ayo, 1933年7月- )の独奏による
2回目の録音(1959年4・5月)です


ヴィヴァルディ
ヴァイオリン協奏曲集《和声と創意への試み》作品8より
 ①第1番ホ長調作品8-1《春》RV.269
 ②第2番ト短調作品8-2《夏》RV.315
 ③第3番ヘ長調作品8-3《秋》RV.293
 ④第4番ヘ短調作品8-4《冬》RV.297
⑤ヴァイオリン協奏曲ホ長調《恋人》RV.271

イ・ムジチ合奏団
フェリックス・アーヨ(独奏ヴァイオリン)
録音:1959年4・5月、ムジークフェラインザール、ウィーン(①-④)。1958年1月、ミラノ、イタリア(⑤)。
【PCD-428】

《四季》は
ヴィヴァルディ47歳の時(1725)に出版された
協奏曲集《和声と創意への試み》作品8(全12曲)の最初の4曲です。

《恋人》は50歳の時(1728)にまとめられた
協奏曲集《ラ・チェトラ》(全12曲)の第10曲目です。

《ラ・チェトラ》といえば、
49歳の時(1727)に出版された
協奏曲集《ラ・チェトラ》作品9(全12曲)が有名ですが、

《恋人》を収める《ラ・チェトラ》は、
作品9の《ラ・チェトラ》とは別の曲集でなので、
混乱しないように《ラ・チェトラⅡ》と呼ぶこともあるようです。

残念ながら、作品9の《ラ・チェトラ》とは違い、
《ラ・チェトラⅡ》全12曲をまとめた録音はほとんどないようです。


  ***

廉価盤なのに音がいいことに驚いた
キープ株式会社さんの復刻シリーズで、
イ・ムジチ合奏団(I Musici)の《四季》を聴いてみることにしました。

有名な録音ですが、
手元において聴いたことはありませんでした。

スペインのヴァイオリニスト
フェリックス・アーヨ(Felix Ayo, 1933年7月- )の独奏による
2回目の録音(1959年4・5月)です。

アーヨ25歳の時の録音で、この4年前(1955)に
1回目のモノラル録音が行われているようですが、
そちらは未聴です。

ちなみにイ・ムジチ合奏団は1951年に結成され、
翌52年3月31日にデビュー・コンサートが行われました。


  ***

このCD、
最初おっとりした感じの出だしで、
一時代前の演奏かなと思ったのですが、
アーヨの独奏が始まると、
明るく美しいヴァイオリンの音色にすぐ心を奪われました。

よく歌うヴァイオリンなのですが、
ありがちな表面的な歌ではなく、
心に深いところにズドンと響いて来て、
あれっ、こんなにいい曲だったのかと、
改めて《四季》の美しさに惚れなおしました。

アーヨ以降の独奏者で
イ・ムジチの《四季》聴いていた時には、
もっとさらさら流れていく美しいだけの演奏に聴こえていたので、

ヴィヴァルディを弾いて
ここまで音楽の中身を感じさせてくれるのは、
恐らくアーヨならではの才能なのだと思います。

そういえば本当に若いころ、
フェリックス・アーヨ独奏のバッハの無伴奏を、
カセットテープ盤で購入し、聴いて感動した記憶があります。

アーヨの昔の録音を探してみようと思います。

2016年6月20日月曜日

ケンプ&ケンペンのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(1953年録音)

ドイツのピアニスト
ヴィルヘルム・ケンプ
(Wilhelm Kempff, 1895.11-1991.5)の独奏、

オランダ出身のドイツの指揮者
パウル・ファン・ケンペン
(1893.5-1955.12)の指揮する

ドイツのオーケストラ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(Berliner Philharmoniker)の伴奏で、

ドイツの作曲家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(Ludwig van Beethoven, 1770.12-1827.3)の
ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37 を聴きました。

ケンプ57歳の時(1953.5)に一気に録音された全集に収録されています


ヴィルヘルム・ケンプ名演集
CD5
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37

 パウル・ヴァン・ケンペン(指揮)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音:1953年5月、ベルリン、イエス・キリスト教会

ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調 作品53《ワルトシュタイン》
 録音:1951年
【Membran 10CD Collection 233479】

ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37 は、
ベートーヴェン32歳の時(1803.4)に
交響曲第2番 ニ長調 作品36 とともに初演された作品です。

ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調 作品53 は、
34歳の時(1805.5)に出版された作品です


ヴィルヘルム・ケンプによる
ベートーヴェンの協奏曲全集、
CD1枚に1曲ずつの収録なので、
ゆっくり聴き進められるのがありがたいです。

第3番は、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲のなかで、
私には一番馴染みのない作品です。

今回のCD、第1・2番と同じく、
真っ正面から取り組んだ変な癖のない演奏で、
どんな曲なのかが過不足なく伝わって来るのはありがたいのですが、

曲に内在する大きなスケールからすると、
ここからさらに二歩三歩と内面に切り込んでほしいようにも感じ、
個人的にそれほど大きな感動は抱きませんでした。

悪い演奏ではないのですが、
ロマンティックな要素の多い曲ではあるので、
もっと内面に深く入り込んでくるような、
大風呂敷を広げた演奏も聴いてみたくなりました。


どちらかというと、
ワルトシュタイン・ソナタのほうが、
ケンプらしいスタイルをギリギリまで突きつめた感のある
手に汗握る名演で、より深く感動しました。

次は第4番へと進みます。

2016年6月13日月曜日

ブレンデルのシューベルト:ピアノ作品集2(1972・75年録音)

チェコスロバキア共和国(現・チェコ共和国)
モラヴィア地方生まれのピアニスト、
アルフレード・ブレンデル
(Alfred Brendel, 1931.1- )の演奏で、

オーストリアの作曲家
フランツ・シューベルト(Franz Schibert, 1797.1-1828.11)の
ピアノ作品集を聴きました。

7枚組CDの2枚目で、
ピアノ・ソナタ
 第14番 イ短調 D784 ※3楽章
 第15番 ハ長調 D840《レリーク》※2楽章
 第16番 イ短調 D845 ※4楽章
の3曲が収録されています。


CD2
①ピアノ・ソナタ(第14番)イ短調 D784(op.post.143)
②ピアノ・ソナタ(第15番)ハ長調 D840《レリーク》
③ピアノ・ソナタ(第16番)イ短調 D845(op.42)

アルフレート・ブレンデル(ピアノ)
録音:1972年(第14・15番)、1975年(第16番)
【Eloquence 480 1218】2008年発売


シューベルト22歳の時、
1819年7月に作曲された
 ピアノ・ソナタ(第13番) イ長調  D.664
から4年をへて、

26歳の時、
1823年2月に作曲されたのが、
 ①ピアノ・ソナタ(第14番)イ短調 D784(op.post.143)※3楽章

28歳の時、
1825年4月に作曲されたのが、未完の大作
 ②ピアノ・ソナタ(第15番)ハ長調 D840《レリーク》 ※2楽章

同年5月頃に作曲されたのが、
 ③ピアノ・ソナタ(第16番)イ短調 D845(op.42)※4楽章
です。

作曲者本人のなかでは、
第16番のソナタが画期になっていたようで、
作曲後、間もなく出版された初版譜には
「グランド・ソナタ 第1番」と題されていたそうです。

※作品番号等の分類については、便宜的に、音楽之友社編『作曲家別 名曲解説ライブラリー17 シューベルト』(音楽之友社、1994年11月)の記述に従いました(「ピアノソナタ 総説」の執筆は平野昭氏)。


2枚目は名曲揃いです。

このうち真ん中に収録されている
 ②第15番ハ長調 D840《レリーク》
は、未完の2楽章の作品で、

自らの心の奥底に向かって
どこまでも沈み込んでいるうちに、
収拾がつかなくなったような作品です。

構成面は弱いのですが、
部分部分の危うい美しさは捨てがたく、
独特の魅力に惹き込まれました。

残りの2曲、
 ①第14番イ短調 D784 ※3楽章
 ③第16番イ短調 D845 ※4楽章
はどちらも完成度の高い、
良くまとまった作品です。

小柄で品のよい感じの14番に対して、
16番は一つの殻を破った感じの規模の大きな作品で、
特に緩徐楽章はベートーヴェンの後期のソナタを聴いているかのようでした。


CDで聴くと、未完の作品を間にはさむので、
ソナタ3曲の切れ目がわかりにくくなる欠点はあるのですが、

それなりに聴き込むと、
作曲家としての変化の過程を知られる1枚として興味深かったです。


ブレンデルのピアノは、
ベートーヴェンだと踏み込み不足や線の細さを感じてしまうのですが、

シューベルトでは不思議と、
楽譜の自然な魅力をそのまま引き出した
過不足のない演奏に聴こえます。

ひと月ほど聴き込みましたので、
そろそろ次の1枚に進みたいと思います。